本日のローズンゲンの御言葉です。

「今日までしてきたように、ただあなたたちの神、主を固く信頼せよ。」ヨシュア23:8

「ある人たちの習慣に倣って集会を怠ったりせず、むしろ励まし合いましょう。かの日が近づいているのをあなたがたは知っているのですから、ますます励まし合おうではありませんか。」ヘブライ10:25

現在、礼拝の教会学校で教会の信仰告白の話し合いをしています。7月から8月にかけて、話し合いを続けました。昨日で一区切りつくことになります。今回の話し合いを受けて、9月の教会学校キャンプで改めて話し合いの時を持ち、さらにそのことを受けて、12月から再び、信仰告白の話し合いをする予定です。ぜひ、これらの話し合いを通して、私たちの信仰の言葉を共に紡いでいくことができたらと思っています。そんな中、昨日のテーマは「終末」でした。子どもたちに「しゅうまつってわかる?」と尋ねたところ、「分かるよ、土曜日や日曜日のことでしょ」と返答があったそうです。中々、「終末」ということについて考えることは少ないのかも知れません。あるいは考えるにしても、「世の終わり」と聞くと、恐ろしいイメージを抱くことがあるかも知れないと思います。しかし、私たちが聖書から聞き取る「終末」はそうではありません。信仰告白の学びの資料92頁には次のような文章があります。

「私たちの将来は暗いのでしょうか。それとも明るいのでしょうか。歴史に未来はあるのでしょうか。それとも滅亡が待っているのでしょうか。このような問いに対して、いま流行の世俗的終末観は危機意識をあおりたてます。〜では私たちは、歴史の終末をどう理解したらいいのでしょうか。〜私たちにとって終末とは、歴史が終わることを第一には意味しません。これも含みますが、第一義の意味ではありません。終末の第一の意味は、イエス様がもう一度来られることです。終わりは英語でエンドといいますが、エンドには目標という意味もあります。終末において歴史は目標に達するのです。ですから、時間が終わる時イエス様が来られるというのではなく、逆に、イエス様がもう一度来られるから、時間的歴史の流れは終わり、神の国という目標に達するのです。〜私たちは終末という言葉のかわりに、むしろ希望といいたいと思います。」(『信仰の喜び』P.60)

この言葉にあるように私たちにとって「終末」は何より希望のメッセージなのです。

本日の箇所には、次のように記されています。

「ある人たちの習慣に倣って集会を怠ったりせず、むしろ励まし合いましょう。かの日が近づいているのをあなたがたは知っているのですから、ますます励まし合おうではありませんか。」

ここに記されている「かの日」こそが、「終末」です。この「終末」を目標として、私たちは励まし合い、支えあって、歩んでいます。そのことを改めて、心に刻んでいきたいと思います。

鈴木牧人

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