本日のローズンゲンの御言葉です。
「多くの者がわたしに言います/『彼に神の救いなどあるものか』と。主よ、それでも/あなたはわたしの盾、わたしの栄え/わたしの頭を高くあげてくださる方。」詩編3:3-4
「その中の一人は、自分がいやされたのを知って、大声で神を賛美しながら戻って来た。」ルカ17:15
本日の箇所には、次のように記されています。
「多くの者がわたしに言います/『彼に神の救いなどあるものか』と。主よ、それでも/あなたはわたしの盾、わたしの栄え/わたしの頭を高くあげてくださる方。」
この御言葉を読みながら、心に迫ってくるのは、「多くの者」という言葉です。この詩の詩人は、「多くの者」の態度や言葉に苦しみ、傷つき、悩んでいました。私たちも時にそういうことがあるのではないかと思います。特定の「誰か」ということがはっきりしているわけではありません。不特定多数の「多くの者」の存在に悩み、苦しんでいるのです。不特定多数の「多くの者」の視点を感じながら、「みんな、こんなふうに思っているんじゃないか」と思ったり、「みんな、自分をこんなふうに言っているんじゃないか」と考えたり…。そんなふうに「多くの者」の目線や声に悩んだり、傷ついたり、押しつぶされそうになってしまっているのです
今の時代、特にそういうことがあるように思います。SNSを通して、不特定多数の声が飛び交っている時代です。また、コロナの状況で、中々、人と人とが、直接、顔と顔をあわせてコミュニケーションが取れなくなっている時代です。そういう時代の中、私たちはつい、不特定多数の「多くの者」の声に流されてしまいそうになることがあるのではないかと思います。そんな中、本日の詩編の言葉が心に迫ってくるのです。
ですが、この詩人は、不特定多数の「多くの者」の苦しめられる中で、「あなた」という存在に目を向けていきます。その「あなた」という存在により頼み、歩んでいこうとしていくのです。それが後半部分にある「主よ、それでも/あなたはわたしの盾、わたしの栄え/わたしの頭を高くあげてくださる方」という言葉です。この詩人の姿は、私たちに大切なメッセージを語りかけているのではないでしょうか。今の時代、私たちはともすると、すぐにこの不特定多数の「多くの者」に振り回されていることがあります。社会の仕組みや、社会に繋がっているあり方が私たちをそのような形に仕向けている部分もあります。そんな中で、私たちはともすると、自分の足場を見失ってしまうことがあります。ですが、そんな中で、私たちは「あなた」という存在にまっすぐに目を注いでいきたいと思います。そこに私たちの立つべきところを見出していきたいと思うのです。
その「あなた」という存在は、私たちにとって、身の回りの友人だったり、家族だったりするかも知れません。しかし、私たちにとっての何よりかけがえのない大切な「あなた」は、詩編3篇の詩人がそうであったように「主」です。この方は「私たちと共にいる」と宣言された「インマヌエルの神」です。この「あなた」にしっかりと目を向けていきたいと思うのです。
鈴木牧人
