隣り人とは誰か ~アトゥトゥミャンマー福岡の活動を通して~

ルカによる福音書10章25節~37節

アトゥトゥミャンマー福岡は、姪浜教会の教会学校から始まり、月に一回のミャンマーディナーナイト、入国管理局や病院へいっしょに行く同行支援、日本語教室、生活相談、ビザ関係の書類作成支援、ミャンマー語の礼拝などを行っています。今年の3月28日、ミャンマー大地震が起きた後も、クーデター軍は、救援活動を行うどころか、被災地に空爆を続けています。外国や大きな支援団体からの物資は、クーデター軍が掌握し、必要な物は届きません。私たちは、今までの関係を駆使して、現地で救援活動を始めた教会やグループに、地震三日後から直接支援金を届けることができました。
律法学者は、イエスに「隣人は誰のことですか。」と尋ねました。その問いに対し、たとえ話の後、イエスは「誰が隣人に『なった』と思うか」と問い返されます。隣人は、最初からそこにいるのではない、その人に思いを抱き、近寄り、具体的な行動をし、そしてその後も気にかけていくことで、隣人となっていくということが伝わってきます。つまり、それは実際的で具体的な行動の選びとりの連続です。神さまに出会わされていながら、たとえ話の祭司やレビ人のように、見て見ぬふりをして自分の生活に戻っていけば、私たちはその人の隣人になることはできません。しかし神は、イエスさまが私たちに近づきかかわったことで、私たちが愛を知るようになったように、私たちが誰かの隣人になることを望んでいます。
一方で、毎日の私たちの日常はめまぐるしく、自分を支えるだけで精一杯です。ですから、37節にある、イエスさまの「行ってあなたもそのようにしなさい」というこの言葉に、私たちには「今は無理です」と答えたくなります。
しかし、イエスさまは9章でイエスさまは12人の弟子たちを呼び集め、力と権能をお与えになり、そして、派遣し、さらに10章で、他に72人を派遣しています。そして彼らは収穫と共に帰ってきました。今日のサマリヤ人の例えは、イエスさまがそれを見て、喜びにあふれて語った言葉です。そして、その言葉を、祝福され、働きを終えた弟子たちがきいていた、ということです。
ですから、私たちはイエスさまの「行ってあなたもそのようにしなさい」という言葉をイエスさまの一方的な命令だと受け取るべきではありません。なぜなら、イエスさまが私たちに何かをしなさい、というとき、それを行うために必要なことすべてを与えられるからです。それは私たちにとって最大の祝福です。それは、単なる命令ではなく、私たちを働きに召す招きの言葉であり、共に収穫の喜びにあずかる、祝福の言葉なのです。
 私たちがイエスの体として、礼拝、祈り会、教会学校の働きを忠実に担うとき、主は私たちに隣人を与えてくださいます。私たちはまず神さまに・教会につながり、その務めを喜んで担いたいと思います。教会を通して、主から出会わされた隣人と、ミャンマーの・世界の人たちと手をつなぎたいと思います。そして、神の平和をつくりだすために、神さまご自身が私たちを用い、その働きに必要なすべてを与え、祝福してくださっていることを、確信をもって、もっと力強く、信じたいと思います。 

  (姪浜教会/Atutu Myanmar福岡 大内 絵美)

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