本日のローズンゲンの御言葉です。

「わたしはエフライムから戦車を/エルサレムから軍馬を絶つ。戦いの弓は絶たれ/諸国の民に平和が告げられる。彼の支配は海から海へ/大河から地の果てにまで及ぶ。」ゼカリヤ9:10

「更に、悪魔はイエスを非常に高い山に連れて行き、世のすべての国々とその繁栄ぶりを見せて、『もし、ひれ伏してわたしを拝むなら、これをみんな与えよう」と言った。』すると、イエスは言われた。『退け、サタン。『あなたの神である主を拝み、/ただ主に仕えよ』/と書いてある。』」マタイ4:8-10

本日の箇所には、次のように記されています。

「更に、悪魔はイエスを非常に高い山に連れて行き、世のすべての国々とその繁栄ぶりを見せて、『もし、ひれ伏してわたしを拝むなら、これをみんな与えよう』と言った。すると、イエスは言われた。『退け、サタン。『あなたの神である主を拝み、/ただ主に仕えよ』/と書いてある。』」

この御言葉は、有名な悪魔の誘惑の箇所です。悪魔はイエスを高く引き上げ、世界のすべての国々を見せ、世界中の繁栄を見せました。そして、この素晴らしいものが全てあなたのものになると切り出して、それに加えて、もしあなたがこれらのものを欲しいなら、私を拝みなさいと言われたのです。これが、悪魔の誘惑でした。この箇所を読みながら、巧みな悪魔の策略を思います。何というのでしょう。私たちというのは、悪魔を積極的に拝もうとする人はいないのではないかと思います。でも、本日の箇所にあるように、私たちが他の色々なことに心が奪われて、神様を見上げることがぼやけてしまう時に、しばしば私たちは大切なことが分からなくなって、とんでもない方向に向かってしまうことがあるのではないかと思います。悪魔は、まさに世界中の華々しい繁栄の様子を見せて、心を惹きつけさせようとし、結果、神様のことをぼやかして、心を惑わそうとしているのです。ですから、ここでの本当の誘惑というのは、直接「もしわたしを拝むなら!?」という言葉というよりも、むしろ、様々な事柄を通して、神様をぼやかそうとする働きかけと言えるのではないかと思うのです。昨日、小林洋一先生をお迎えして、オープンチャーチが行なわれました。小林先生はメッセージの中で、「教会は、『平和を目指す民』なんだ」ということをお話になりました。

「キリスト教は『平和をめざす宗教』です。ですが、歴史を振り返れば、キリスト教は平和どころか、戦争に加担し、戦争を鼓舞する宗教ではないのか、と反論が出てくることでしょう。そして、それは『その通りだ』と認めざるを得ません。私は、キリスト教の戦争への加担は、単純化して言えば、ひとえに、キリスト教が力を欲し、権力と癒着したことが原因だと思っています。そして多くは、宗教が権力にハイジャックされた成れの果てだと思っています。」

考えさせられる言葉でした。私たちはせっかく「平和」へと招かれているのに、いつの間にか、平和ではなく、戦争に加担し、戦争を鼓舞するような歩みに向かってしまうことがあって、それというのは、私たちが力を欲し、権力と癒着していくことから始まっていくんだというのです。まさに、本日の箇所で、悪魔がイエス様に呼びかけた「繁栄」と「力」に魅せられていく中、教会はしばしば、イエス様ではない「別の勢力」にハイジャックされてしまったのではないかと思います。本日の御言葉を読みながら、改めて、昨日の小林先生の言葉を思い起こしました。そんな中、改めて、私たちが立つべきところについてしっかりと考えていきたいと思いました。       

           鈴木牧人

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