本日のローズンゲンの御言葉です。

「なぜ、わたしと争い/わたしに背き続けるのか、と主は言われる。」エレミヤ2:29

「人は皆、罪を犯して神の栄光を受けられなくなっていますが、ただキリスト・イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより無償で義とされるのです。」ローマ3:23-24

10月31日は、宗教改革記念日です。1517年10月31日に、マルティン・ルターがヴィッテンベルク城教会の扉に『95ヶ条の論題』を公示し、宗教改革が始まりました。当時、マルティン・ルターはカトリック教会の修道士でしたが、カトリック教会が行なっていた贖宥状(免罪符)販売に対して強い疑問を持ち、それを批判するため、当時、ルターが神学教授を務めていたヴィッテンベルクの教会の門に文書を貼りだしたのでした。本日の箇所には、次のように記されています。

「人は皆、罪を犯して神の栄光を受けられなくなっていますが、ただキリスト・イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより無償で義とされるのです。」

 この御言葉を読みながら、「ただキリスト・イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより無償で義とされる」という言葉が心に留まりました。そして、改めて、マルティン・ルターが訴えたかったことはこういうことだったのだろうと思いました。金持ちが免罪符をお金で買い、そのことを通し、罪が赦されたとされてしまうような状況に対し、「それかおかしい。そんなには違う」と訴えながら、私たちでは解決しえない罪の問題と、そんな私たちの罪さえも贖ってくださるイエス・キリストの救いを指し示そうとしていったのだと思います。免罪符のこと思いながら、ふと思い浮かべたのが、ブルーハーツの『青空』という歌(作詞・作曲:真島昌利 1988/11/23)です。その歌の中に「神様にワイロを贈り/天国へのパスポートを/ねだるなんて本気なのか?」という言葉があります。この歌詞を読む時、「免罪符」のことを思います。この『青空』という歌は、生まれた所であったり、その人の皮膚や目の色だったりで、人間の優劣をつけ、表面は着飾りながら、差別や搾取が横行されている世界に対して、強く訴えている歌なのだと思います。そして、そのような状況というのは、ルターが訴えた時代もそうだったのだと思いますし、今の私たちの周りの世界も強く問われていることなのではないでしょうか。本日の御言葉を読みながら、宗教改革記念日について思いをはせながら、改めて、私たちの信仰が立つべきところはどこかを考えさせられました。

鈴木牧人

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