本日のローズンゲンの御言葉です。

「主は代々限りなく統べ治められる。」出エジプト15:18

「彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがない。」ルカ1:33

水曜日の祈祷会の後、エレベーター業者の方とお話をしました。私たちの教会のエレベーターは設置して30年近く経ちます。この間、様々な修繕作業をしてきました。今回、これまでどんな修繕を行なってきたのか、一覧にまとめて報告をしてくださいました。改めて、様々なことがなされてきたことを知らされました。そんな中、業者さんからこんな話を聞きました。

「一昨年、大掛かりな修繕工事を行いましたが、その時も私が担当しました。その際、4階のエレベーター室にある換気扇が壊れていて、ひどい音が鳴っていました。そのことが作業者から報告があったので、サービスでその換気扇を新しいものに変えておきました。」

「そんなことがあったんだ」ということを知り、感謝の思いで一杯になりました。確かに「エレベーター室の換気扇の音がうるさいよね」というようなことを話し合っていました。ですが、夏場は4階に熱がこもりがちなので音を我慢しながら換気をしていました。「どうにかならないものか」と悩んでいたのですが、私たちが気づいていないところで、解決してくださっていたのです。

エレベーター業者さんとそんなやり取りがあったのですが、そのやり取りを通して改めて「そういうことって、私たちの歩みに色々あったりするんじゃないだろうか」と思いました。私たちの気づかないところで、実は色々な形で支えられていたり、助けられているということがあったりするのではないでしょうか。けれども、私たちはそのことに気づかないままでいたりすることもあるのではないでしょうか。そして、それというのは何より、神様に対して、そうだったりするかも知れません。神様の取り扱いや救いの業というのは、私たちが明らかに「これは神様だ」と思えるようなものもあるかも知れません。ですが、そういうことばかりではなく、後々振り返ってみる時に「実はあの時、自分は守られていたんだな」と気づかされていくこともあるのだと思います。また、助けられ、支えられていても、そのことに気づいていないことさえあるのだと思います。私など、そういうことばかりなんじゃないかと思いました。エレベーター業者さんとのやり取りを通して、改めて、そんなことについて考えさせられました。本日の箇所には、次のように記されています。

「主は代々限りなく統べ治められる。」

本日の御言葉を読みながら、水曜日のエレベーター業者さんとのやり取りを思い出しました。ここには「主が統べ治められる」と書かれています。しかしながら、その主の支配、取り扱いを、私たちは分かっていないことも多いのではないでしょうか。私たちの思いをはるかに超えた形で、私たちを守り、導き、御心を成し遂げておられ、私たちを助け、守り、支えてくださっているのですが、そのことに気づいていないことも多かったりするんじゃないかと思うのです。毎日の何気ない日常の中に、神様の守り、支えを知らされていくことは私たちにとってかけがえのない気づきなのだと思います。その気づきが「喜び」になり、「感謝」になり、明日への「希望」になっていくのです。

鈴木牧人

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