「わたしを信じなさい」
ヨハネによる福音書14章1-3節
私たちの教会では、水曜日、午前中の十時半からと夜の七時半から聖書を共に学び、祈りあう祈祷会を行なっています。祈祷会では、いつもみんなで聖書を読みあい、その聖書箇所について、それぞれが思うことを自由に話しあっています。その祈祷会の中でI牧師がこんなことをおっしゃっていました。
「私たちは誰でも、この世を生きている中で、何かしらの形で、世の中の『しがらみ』に縛られているのだと思う。幼稚園の子どもたちだってそうだ。幼稚園というのは、社会の縮図だ。そこに集う子どもたちは、幼稚園の中で色々な人間関係を経験している。その中で痛んだり、悩んだりすることもいる。その経験が傷となって生涯残ることだってありうる。そういう中、どんなふうに子どもたちに関わっていくのかということが問われているんだ。幼稚園では、先生方の話し合いの中で、毎日のように、『この子にこういうことがあった。どう接していければいいのか』というようなことが話し合われていたんだ」。
I牧師は加えて「そんなふうに、みんな何かしらの形で、『しがらみ』に縛られている。そういう様々な『しがらみ』を抱えながら、しがらみから解放されるため、やって来るのが、教会なんだ。」とおっしゃいました。
本日の箇所で、イエス様は「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。」(14:1)と言われました。この時、イエス様は、いよいよ十字架に向かわれようとしていました。弟子たちはこれから何が起こるかは分かっていなかったのだと思いますが、緊迫した状況は肌身で感じ取っていたのではないでしょうか。「何が起こるかは分からない」「これから、どうなってしまうんだろう」そういう思いを抱きながら、心を騒がせていたんだと思います。そういう状況の中、イエス様は、弟子たちに対し、「あなたたちの中で裏切る者がいる」ということだったり、「あなたがたは私についてくることができない」ということを話されました。そういうお話も、弟子たちにしてみれば、心騒がせる思いにさせられていったのではないでしょうか。そういう中でお話になったのが、本日の御言葉です。弟子たちが皆、不安や恐れでいっぱいになって心が激しく騒いでいる状況で、イエス様は「心を騒がせるな」と言われたのです。さらに「神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい」と言われました。「神様が信じるなら大丈夫。あれこれ思い悩んで心を騒がせなくてもいい」とおっしゃったのです。色々な思いに囚われ、がんじがらめになってしまっているような状況の中で、イエス様の呼びかけは、そういう「しがらみ」を解放する言葉です。そして、それがイエス様という方なのです。弟子たちのような特別でなかったとしても、私たちの毎日の生活の中でちょっとしたことで、心騒いだり、色々な思いに心が囚われたりすることがあります。そんな中、イエス様は私たちに「大丈夫、心を騒がせなくてもいい。神様を信じなさい。そして、私を信じなさい」と呼びかけてくださっています。そのイエス様との出会いが、私たちを様々な「しがらみ」から解放するのです。
