「イエスこそ道」
ヨハネによる福音書14章4-7節
本日の箇所に記されているのは、イエス様と弟子のトマスのやり取りです。イエス様は、弟子たちに対して、「わたしがどこへ行くのか、その道をあなたがたは知っている」(14:4)と言われました。これに対して、トマスは「主よ、どこへ行かれるのか、わたしたちには分かりません。どうして、その道を知ることができるでしょうか」(14:5)と語ったのです。この時のトマスの戸惑いについて考えてみたいと思います。この時の状況というのは、イエス様がいよいよ十字架に向かおうとしていた状況でした。トマスを始め、弟子たちはこれから一体どんなことが起こるかということについては分かっていませんでした。ですが、先の見えない不安は感じていたのだと思うのです。そういう状況の中でイエス様が弟子たちに「わたしがどこへ行くのか、その道をあなたがたは知っている」と言われても、戸惑ってしまうばかりでした。そんな思いが本日のトマスの言葉に表れているのだと思います。「そんなこと言われても分かりません」。トマスにしてみればそんな思いだったのだと思います。
私たちも時に、本日のトマスのように、「わたしには分かりません」とイエス様に訴えたくなるようなことがないだろうかと思います。色々なことがあって、一つ一つのことに思い悩みながら、一体これからどうしたらいいのか、どこに向かえばいいのか、分からないという思いにさせられることがないでしょうか。
イエス様がお話になった「その道をあなたがたは知っている」とはどういうことでしょう。色々なことが言えるかも知れません。しかしながら、もしも私たちが、イエス様が言われる「その道」を知ることができるとするなら、それは少なくてもトマスが天を見上げようとしていくことから始まるのではないかと思います。そうする時に見えてくるものがあるのではないでしょうか。イエス様はトマスに対し「わたしは道であり、真理であり、命である」(14:6)とも言われました。この御言葉について註解書には次のような解説がなされていました。
「トマスはイエスが言われた『その道をあなたがたは知っている』という言葉を『場所的』にとらえ、考えた。それゆえ『主よ、どこへ行かれるのか、わたしたちには分かりません』と訴えた。しかし、ここでイエスが語られた言葉により、そのような考えが根本的な誤りであることが明らかになった。」
トマスはイエス様からの言葉を聞きながら、事柄を「どこへ」というふうに、「場所的」にとらえていました。ですが、そのようなとらえ方や考え方というのは、根本的に間違っていたのです。イエス様がお話になっていることはそういうことではありませんでした。何より、イエス様御自身が、道であり、真理であり、命だったのです。ですから、私たちが今置かれているその場所で、そのイエス様を見上げることが肝心でした。そのイエス様に聞こうとしていくこと、そして、そのイエス様を選び取ろうとしていくことが問われているのです。まさに、私たちが迷い、悩み、どうしようか、どこに向かおうかとする中で、まず天を見上げていくことをイエス様はお話になったのです。
