本日のローズンゲンの御言葉です。

「エフライムはわたしのかけがえのない息子/喜びを与えてくれる子ではないか。彼を退けるたびに/わたしは更に、彼を深く心に留める。彼のゆえに、胸は高鳴り/わたしは彼を憐れまずにはいられないと/主は言われる。」エレミヤ31:20

「神は、前もって知っておられた御自分の民を退けたりなさいませんでした。それとも、エリヤについて聖書に何と書いてあるか、あなたがたは知らないのですか。彼は、イスラエルを神にこう訴えています。」ローマ11:2

 本日の箇所には、次のように記されています。

「神は、前もって知っておられた御自分の民を退けたりなさいませんでした。それとも、エリヤについて聖書に何と書いてあるか、あなたがたは知らないのですか。彼は、イスラエルを神にこう訴えています。」

ここでパウロは、「神は御自分の民を退けられたのであろうか」と語っています。「御自分の民」というのは、イスラエルの民です。ローマ9-11章には、イスラエルの救いについて語られています。そんな中、パウロはイスラエルの民が、福音を受け入れようとしない現状について語っています。10章の最後では、こんなふうに語っています。

「しかし、イスラエルについては、「わたしは、不従順で反抗する民に、一日中手を差し伸べた」と言っています。」(ローマ10:21)

 この御言葉のように、イスラエルの民は、神がせっかく救いの手を差し伸べてくださっているのに、頑なに反発しているんだと語ったのです。本来であるなら、「もうあの人たちに伝道したって、無理なんじゃないか」というところなのではないでしょうか。しかし、パウロはそれでも神は御自分の民を退けられたのであろうか。決してそうではない」と語るのです。ここで、「前もって知っておられた御自分の民」とパウロは語っていますが、ある註解書には、聖書がこのような形で、知っているというように語る時というのは、ただ「知っている」ということではないということが書かれていました。「愛をもって知っていてくださる」という意味が含まれていて、もっと積極的な言い方をするなら、「知っている」とは、「愛している」とほぼ同一の言葉だということなのだというのです。心に留まる言葉なのではないでしょうか。イスラエルの民を神は棄てられていないんだ、今も愛をもって覚えていてくださっているんだと語られているのです。この箇所を読む時、改めて、イスラエルの民に対する、神の深い愛、そして、パウロの深い愛を思います。そのまなざしは私たち一人一人にも向けられています。

この数日、寒い日が続いています。この時期になると思い出す話があります。

「あなたの両手で雪を包んでごらんなさい。その雪は、時間をかけて、ゆっくり解けていくでしょう。神様の愛の御手も同じです。私たちがどれほど冷たい固い心であっても、私たちが神様の御手に出会い、捕らえられていく時、私たちの心は解かされていくのです。ただし、私たちが冷たい雪を手で包み続けていく時、手の平は強い痛みも感じるのではないでしょうか。その痛みを通して、私たちは、私たちに注がれた神様の愛を知ります。神様は、そのような痛みを通らされてもなお、私たちを見離さず、捕らえ続けてくださっているのです。」                   

     鈴木牧人

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