「主の平和に生かされる」
ヨハネによる福音書14章22-31節
本日の箇所で、イエス様は、弟子たちに対し、「わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える」と言われました。私たちがイエス様に出会い、取り扱われていく歩みの中で、私たちが導かれていくもの、与えられるもの、それは何より「平和」です。ここで、イエス様が語られている「平和」という言葉について考えてみたいと思います。この言葉を聖書の原文から調べてみますと、エイペーネーというギリシア語が使われています。この言葉が使われている別の聖書がフィリピ4:6-7です。
「どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう」(フィリピ4:6-7) 。
このフィリピの御言葉にあるように、私たちはしばしば、心が思い煩いで一杯になってしまいます。そのような状況にあって、私たちの心を平和で守ってくれるというのです。本日の御言葉もそうなのだと思います。イエス様は本日の箇所で「心を騒がせるな。おびえるな」と呼びかけました。そこには心騒ぎ、おびえている弟子たちがいたのだと思います。そのような中にあって、「今、この状況の中にあっても、あなたたちのために平和は残されている。わたしの平和を与える」と呼びかけられているのです。イエス様は、私たちをこの平和に生かそうとしてくださっています。それは、この世が与えるものではなく、簡単にはかき消されたり、奪われたりするようなものではないものです。この平和は何より、私たちのうちにあるようなものではなく、イエス様からの恵みよって与えられる平和です。ですが、この平和について考えていく時、私たちが覚えていたい大切なことがあります。聖書が語る平和とは、何よりもそこに「対話」というものがあるということです。フィリピの御言葉を読む時にもそのことに気づかされます。この御言葉には、思い煩いで一杯になっている私たちに対して、その思いをそのまま「神に打ち明けなさい」と語りかけられているのです。私たちの心にある思い煩いも、願っているものも、求めている思いも、感謝を込めながら、そのまま神様に打ち明けなさいと言われているのです。そんな私たちを神様は取り扱ってくださるのです。そして、私たちの心と考えを神様の平和で守ってくださるのです。ここには、まさに「対話」があるのです。本日の箇所もそうです。イエス様は14:26で、イエス様の代わりに、聖霊を神様が遣わしてくださることをお話になりました。そんな中、この聖霊は、私たちに「すべてのことを教え」、イエス様が話してくださったことを「ことごとく思い起こさせてくださる」とお話になったのです。ここにも「対話」があるのです。聖霊との対話を通して、私たちがその都度、様々なことを学び、さらにその都度、教えられてきたことを思い起こし、大切なことを忘れないよう、心に留め続けていくのです。私たちが「平和」を見失ってしまっている時、そこに「対話」を失っている私たちはいないでしょうか。何より、主との対話から始まり、目の前の人との対話を大切にしていきたいと思います。
