「わたしたちは『ひとりではない』」

ヨハネによる福音書15:9-12

イエス様は「わたしはあなたがたを愛してきた」とお話になりました。私たちは、イエス様に愛されています。これまでも愛されてきましたし、今も愛されているのです。そんな私たちは、一人ではありません。そして、さらにイエス様は私たちに対して「互いに愛しあいなさい」ともお話になりました。「愛しあう」ということは、何よりお互いにお互いを一人にはしないことから始まるのだと思います。そんなふうに、私たちはイエス様によって結ばれ、そんな私たちがお互いに結ばれていく…。そのように私たちを「ひとりにしない」「ひとりではない」、イエス様はそんな歩みに招いておられるのです。
神様は世界を創造された時、お創りになったあらゆるものに対して、「良い」と言われました。ですが、天地創造の記述の中で、ただ一つ、「良くない」と言われたことがありました。それが「人が独りでいるのは良くない」(創世記2:18)ということでした。この言葉はアダムに対してだけ語られた言葉ではありません。神様は私たち人間に対しても同様に「人が独りでいるのは良くない」と見つめておられます。私たちには「助ける者が必要だ」と考えておられるのです。神様はアダムにはエバを助ける者としてお与えになりました。同様に、私たちに神のひとり子であるイエス様を与えてくださいました。そのイエス様と共に歩みなさい。そのイエス様の愛にとどまっていきなさい。それが天地創造の時からずっと注がれている神様の私たちへの眼差しの中で語られているメッセージです。
ですが、どうでしょう。神様はそんなふうに眼差しを注いでいるのに、私たちはしばしば、そのことが分からなくなってしまうことはないでしょうか。神様が私たちに「人が独りでいるのは良くない」と思っておられるのに、私たちはしばしば「良くない」方向に向かってしまうのです。ともすると、自分が独りなんじゃないかと思いこんでしまったり、自分から「独りのほうがいい」と思ってしまうこともあるのです。色々なことの中、「独りになりたい」と思うようなことは誰しもあるのだと思います。時々にそういう時間を持つことは必要だったりするかも知れません。ですが、そのまま、独りだけの世界に閉じこもってしまうことはやはり良いことだは言えないのではないでしょうか。本来、そうすることを誰も望んでいないのだと思います。ですが、私たちはそういう方向にいつのまにか、向かってしまうことがあるのです。私は自分自身のこととして、そんな自分がいるんじゃないかと痛感しています。よくよく注意していないと、ついそういう方向に向かってしまい、迷いでてしまうのです。それというのは、もはや、私たちの根っこに奥深く潜んでいる課題なのかも知れません。聖書には、「私たち人間には罪の性質がある」と語ります。罪というのは、的外れという意味があります。私たちには根源的な的はずれの性質があるのです。その的はずれの一つがこのことかも知れません。ともすると、いつのまにか、すぐにひとりの方向に向かってしまうことがあるのです。そんな自分がいることをわきまえつつ、改めて、「わたしの愛にとどまりなさい」「互いに愛しあいなさい」との御言葉を心に刻んでいきたいと思います。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

Translate »