「ふっかつって、ほんとう!?」
マルコによる福音書16章1-8節
イースターは、イエス・キリストが十字架にかけられ、死なれた後、三日後に復活されたことを記念する日です。このことは、私たちの信仰にとって、かけがえのないメッセージです。私たちが新しい人生、新しい世界に生かされていく根拠が、この復活の出来事にあるのです。ですが、この復活の出来事を信じ、受け入れるということは、簡単なことではなかったりもします。そんなことを思いながら、本日のメッセージ題を「ふっかつって、ほんとう!?」としました。ここで目を留めていただきたいのは、「ふっかつって、ほんとう」の後に、二つのマークを記していることです。ビックリマーク(!)と、ハテナマーク(?)をつけました。何というのでしょう。「ふっかつって、ほんとう」という言葉の後、ビックリマーク(!)と、ハテナマーク(?)のどちらをつけるかで、だいぶ印象が違うのではないでしょうか。ハテナマークをつけるなら、「ふっかつって本当なの?信じられないなぁ」というふうに疑問形になります。ですが、ビックリマークをつけるなら、「ふっかつって本当なんだ!すごい!」と驚きと確信に満ちた言葉となっていきます。私たちは、この二つのマークのうち、どちらのマークをつけるでしょうか。
本日の箇所には、一番最初にイエス・キリストの復活の出来事に出会った人たちの姿が記されています。イエス様が十字架にかかられ、息を引き取られた後、マグダラのマリヤとヤコブの母マリヤとサロメは、イエス様が葬られている墓へと向かいました。葬られたイエス様の身体に香油を塗るためでした。イエス様が埋葬されていた墓は、入り口を大きな石が塞いでいました。イエス様の身体に香油を塗るためには、その石をどかさなければなりませんでした。ですが、彼女たちの力でどかすことができません。ですから、彼女たちは墓に向かいながら「だれが、わたしたちのために、墓の入口から石をころがしてくれるのでしょうか」(16:3)と話し合っていました。そんな彼女たちの姿が心に留まります。私たちも時に、彼女たちのように「大きな石」のような課題に向き合わされながら、「この課題をどうしたらいいんだろう」「だれがこの課題を解決してくれるのだろう」と思いあぐねていることがあるのではないでしょうか。そして、そんなふうに思いあぐねている私たちの中に「復活のキリスト」はおられるでしょうか。「ふっかつって、ほんとう」という言葉の後のマークはどうなっているでしょうか。確信と驚きのビックリマークになっているでしょうか。それより、ハテナマークのほうが大きくなったりしているのではないでしょうか。
彼女たちが語った「だれが、わたしたちのために、墓の入口から石をころがしてくれるのでしょうか」という言葉の「だれが」というところに、「復活のキリスト」を見ていくことができたらと思います。この方が今も私たちと共に歩んでくださり、私たちの歩みを取り扱い、私たちの力ではどうすることもできない石があったとしても、それを取り除いてくださるんだと信頼し、イエス・キリストに従って歩んでいくことができたらと思うのです。彼女たちが本日の箇所で経験したことは、そういうことだったのだと思います。
