「あなたがたのために」

ヨハネによる福音書16:4b-7

本日の箇所でイエス様は「実を言うと、わたしが去って行くのは、あなたがたのためになる」(16:7)と言われました。イエス様がこれから向かおうとしている歩み、なされようとしていること、その結果、弟子たちが経験していくことは、弟子たちのためになることなんだと言われたのです。実際、そうでした。イエス様は、これから十字架に向かおうとしていました。それは、弟子たちのため、私たちのためでした。十字架にかけられた後、復活し、さらに、天に挙げられていくことによって救いは成就し、聖霊が降ることになったのでした。そのことを見据えながら、イエス様がこれから向かおうとする歩みに対し、「わたしが去って行くのは、あなたがたのためになる」と言われたのでした。ですが、一方でイエス様は「わたしがこれらのことを話したので、あなたがたの心は悲しみで満たされている」とも言われました。イエス様から「あなたがたのためになる」と言われても、弟子たちはとてもそんなふうには受け止められなかったのです。今の状況を思う時、これから起こること、向かっていこうとしていくことを、そんなふうに受け止められなかったのです。実際、それは致し方ないことでした。この時、弟子たちはこれから何が起こるかは分かっていなかったのだと思いますが、漠然とした不安や恐れを感じ取っていたと思います。加えて、イエス様から色々なお話を聞き、心ゆさぶられていました。そういう状況の中、心は悲しみでいっぱいになっていたのです。そんな弟子たちの姿に、私たちもこういうことがあるのではないかと思います。イエス様が、私たちのために、善いことをなされていても、私たちを善い方向に導いてくださっているのですが、それが分からないのです。「これはあなたがたのためになるんだよ」と聖書の御言葉から約束の言葉を聞いていても、そのことに信頼することができないのです。

ある牧師が、「今の時代、私たちは、ともすると、すぐに『今だけ』『自分だけ』『お金だけ』そういう感覚になってしまうからね。そうすると大事なことが見えなくなってしまうよ」と話していました。本日の御言葉を読みながら、改めて、この言葉が心に迫ってきます。私は自分自身のこととして「そうならないようにしよう」と心がけているつもりですが、つい今のことしか見えなくなっていたり、自分のことばかりしか考えられなくなっていたり、あれこれとお金のことばかり、思い煩っていたりしていることがあるなと思います。そういう時、大事なことが見えなくなってしまっているように思うのです。イエス様がせっかく「このことはあなたたちのためになるんだよ」「あなたたちのためにこのことをしているんだよ」と約束してくださっていても、そのイエス様に信頼することもできなくなっているのではないかと思います。本日の御言葉を読みながら、そのことが心に迫ってきます。聖書には「神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。」(ローマ8:28)とあります。この御言葉にあるように、主は私たちの思いを越えて、私たちのために、私たちの益となるよう、私たちと共に働いてくださっています。その主に信頼し、期待していきたいと思います。

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