「勇気を出しなさい」
ヨハネによる福音書16:25-33
「これらのことを話したのは、あなたがたがわたしによって平和を得るためである。あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。」(16:33)
私たちは人生の中で色々な形で「勇気」をもって踏み出していく場面というものがあります。その中で「愛に生きる勇気」をもって踏み出すということもあるのだと思います。私たちがイエス様に出会い、そのイエス様の愛に取り扱われていく時、私たちも愛に生きるようにと押し出されていくのですが、そこには勇気が必要に思えることがあるのです。たとえば、私たちが誰かのために何かをしようとしたとします。満員電車の中で誰かに席を譲る時もそうです。困っている人を見かけて、その人に声をかけることもそうかも知れません。その他、自分が何か誰のために役立つ働きをしたいと、一歩を踏み出していく時、決断や勇気を必要とするのです。
今の時代、そのような「愛に生きる勇気」が必要なのではないでしょうか。そして、そのような「勇気」に生かされていくためにも、私たちの背中を押し出してくれるものが必要だったりするのではないでしょうか。本日の箇所で、イエス様は、弟子たちに対して、「もはやたとえによらず、はっきり父について知らせる時が来る」(16:25)とお話になりました。父なる神様について、これまで以上にはっきりと知ることができる時が来るんだとお話になったのです。加えて、イエス様は「その日には、あなたがたはわたしの名によって願うことになる。わたしがあなたがたのために父に願ってあげる、とは言わない。」(16:26)とも言われました。ここには、弟子たちと神様とが、本当に深く、そして、確かな関係で結ばれている様子が記されています。弟子たちは、イエス様を通して、父なる神様のことをはっきりと知り、同時にその神様にありのままに自分の思いを、悩みごとも、願いごとも、そのまま直接に打ち明けているのです。そういう深く、確かな関係に生かされているのです。そのことが何より、「愛に生きる勇気」に押し出されていく励ましと力となっていくのだと思います。
神様のことをもっと深く知ることができたらと思います。その神様に私たちの内にある思いを、ありのままを述べていきたいと思います。そのようにして神様と近しい関係を築いていきたいと思います。神様は、私たちの思いを、願いを受け止めてくださっています。そして、神様がもっともよい時にもっともよい形で御業をなさってくださるのです。そのことに信頼していくことができたらと思います。先週、礼拝の中で、私が「イエス様に期待する信仰を大切にしていきましょう」ということをお話しました。すると、それを聞いた人から、こんなことを言われました。「改めて、『イエス様に期待する』ということについて考えました。『期待』という漢字は、『期(とき)』を『待つ(まつ)』と書きます。自分たちの思いを越えた神様の計画、神様の『期(とき)』があることを信じ、その『期(とき)』を待つのが『主に期待すること』なんだと思いました。」私たちはイエス様に信頼し、期待し、歩んでいきたいと思います。その中で「愛に生きる勇気」に生かされていきたいと思います。
