「世界が造られる前の栄光」

ヨハネによる福音書17:1-5

イエス様は「父よ、今、御前でわたしに栄光を与えてください。世界が造られる前に、わたしがみもとで持っていたあの栄光を」(17:5)と言われました。「世界が造られる前」という言葉を読む時、創世記に記されている天地創造の記述を思い浮かべます。創世記には、天地創造の始まりとして「地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた」(創世記1:2)と記されています。世界は最初、真っ暗闇で、混沌としていて、何もかもが確かではありませんでした。そんな状態から、神様は「光あれ」と神様が言われ、世界は創られていったのでした。光から始まり、神様が御自身の御言葉を通して、一つ一つのものを新しく創造されていったのです。「世界が造られる前に、わたしがみもとで持っていたあの栄光を」という言葉から、その情景を思い浮かべます。神様が愛をもって創られた世界の中で、人間を始め、被造物の一つひとつが神様の御言葉に聞き従い、そのことの喜び、祝福、栄光に溢れている情景です。ですが、聖書を読んでいきますと、そのようにして世界が創られた後の様子が書かれています。最初に創造されたアダムとエバは罪を犯してしました。エバは蛇にそそのかされて、神様から食べてはならないと言われていた善悪の知識の木の実を食べてしまったのです。この時、蛇はエバに対して「善悪の知識の木の実を食べれば、神様のように善悪の知識を得ることができる」と誘惑したのです。自分たちは神様のようになれるんじゃないか…。それというのは、人間的な栄光を追い求める姿と言えるのではないでしょうか。その後も、聖書には人間が神様の栄光の世界からどんどん道を外してしまっていく姿が記されています。その要因として、せっかく素晴らしい栄光と祝福の世界に招かれていたのに、それが分からず、人間的な栄光ばかり追い求めてしまう姿があるのです。
本日の箇所で、イエス様は「世界が造られる前に、わたしがみもとで持っていた栄光を再び表すようになるために」ということをお話になりました。イエス様は再び、私たちのうちに、この栄光を現わそうとされていました。それが十字架の出来事、復活の出来事でした。Ⅱコリント4:6には、「『闇から光が輝き出よ』と命じられた神は、わたしたちの心の内に輝いて、イエス・キリストの御顔に輝く神の栄光を悟る光を与えてくださいました。」(Ⅱコリント4:6)とあります。この「闇から光が輝き出よ」という言葉は、創世記1:2の「光あれ」という言葉を指しています。かつて、天地創造の出来事の時、「光あれ」と言われた神様は、私たちにも、あの天地創造の出来事を起こしてくださる…。混沌と闇に包まれた私たちに光を与えてくださる…。そのようなことが書かれています。それがイエス様に出会い、イエス様を知ることによって、神の栄光を悟ることによってなんだと記されているのです。まさに、私たちは、イエス・キリストの十字架と復活を通して現わされた栄光の意味を知る時、私たちの内に光が与えられ、私たちのうちに新しい神の創造の業が起こされていくのです。その創造の業によって、私たちは新しく創り変えられ、そこから新たに歩み出していくことができるのです。

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