「門から入る者」

ヨハネによる福音書10章1-6節

本日の箇所には、囲いの中にいる羊たちと、その羊のところに行こうとする羊飼いのことが書かれています。羊飼いが囲いの中にいる羊たちのところに行くためには、門を通っていかなければいけない…。門を通らないでほかの所を乗り越えて来る者がいるとするなら、それは盗人か、強盗だと言われたのです。本日のイエス様のたとえを読みながら、グリム童話の『狼と七匹の子山羊』を思い浮かべました。この物語の中で、子山羊たちはお母さん山羊の留守中に「家の扉を開けてはいけないよ」と言われていました。そんな子山羊たちのもとに幾度となく狼が訪ねてくるのです。最初は狼の企みを見抜いた子山羊たちでしたが、やがて狼に騙されてしまうのでした。このグリム童話の子山羊たちにしても、本日のたとえ話の羊たちにしても、とりあえず安全地帯に守られているという点では共通しています。子山羊たちは家の中に守られていますし、羊たちは囲いの中に守られているのです。しかし周りには、狼、盗人、強盗がうろついていました。そんな中、用心しないと、いつどうなってしまうか分からなかったのです。物語の中で子山羊たちはどんな思いで過ごしていたのでしょうか。お母さん山羊がどこかに出かけて行って、留守を守っている間、子山羊たちはどんな思いだったでしょう。家の中は大丈夫だとは言っても、心の中には心配な思いがあったのだと思います。本日の箇所の「囲いの中の羊たち」も同じだと思うのです。家の中にいても、囲いに囲まれても、そこには拭えない不安があったんじゃないかと思うのです。
そして、そんな「子山羊たち」や「囲いの中の羊たち」の姿が時々の私たちに重なってきます。今の時代、誰でも不安を抱えているんじゃないでしょうか。今の状況として問題ないように思えていても、周りを見渡せば決して楽観視できない様々な課題があります。そんな中、拭えない不安を抱えていたりすることがあるんじゃないかと思うのです。
「子山羊たち」や「羊たち」は、自分たちの抱えている不安や緊張感を解消させるためにどうしたら良かったのでしょう。家の壁を頑丈なものとすることだったでしょうか。囲いの高さを高くすることだったでしょうか。そんなふうに自分たちを守ってくれるものをあれこれ付け加えることで多少は安心できたかも知れません。しかし、それでも拭えない不安は解消されなかったのではないでしょうか。「子山羊たち」にとって、一番の安心は、お母さん山羊が帰ってきてくれることだったのだと思います。「羊たち」にとっては、羊飼いが来てくれることだったのだと思います。その時、「良かった」「もう大丈夫」と安心することができたのではないでしょうか。そして、それというのは、私たちも同じだと思います。私たちの中にある「不安」を解消するために「お母さん山羊」「羊飼い」を見出すこと、心に迎えることだったりするのではないでしょうか。イエス様は、そんな私たちに「わたしがあなたの羊飼いなんだよ」と呼びかけてくださっているのです。この時代の中にあって、不安や恐れ、心配事が、私たちの周りを取り囲んでいるような状況にあって、「わたしはあなたの羊飼いなんだ。わたしはそのために来たんだ」と呼びかけてくださっているのです。

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