「エンドに向かって」

ヘブライ人への手紙12章1-2節

私たちの教会では、来年度、70年を迎える。その70年の節目に教会の信仰告白を作ろうと考えています。信仰告白作成の作業は、2019年度に一度行ったのですが、コロナがあり、頓挫してしまいました。ですが、「信仰告白作成作業をしたい」という声が挙がり、再び、作成作業を行なうことになりました。
その信仰告白の話し合いの中で、先日は「終末」について話し合いました。「終末」とは、この世の終わりのことです。この世の終わりと聞くと、何か恐ろしいことのようなイメージを抱くこともあるかも知れません。ですが、聖書において、「終末」とは、何より希望の出来事です。「終末」ということをお話する際、いつもお話することがあります。それは、英語の「END」ということについてです。英語では終わりのことを「END」と言います。ですが、この「END」には、終わりという意味の他に、目標という意味もあります。私たちが「終末」ということを語る時、イメージしていることはこのことです。私たちにとって、何よりも目標としている時、それを目指して歩んでいく時、それは「終末」なのです。そして、それというのは、この世の終わりの「終末」がそうであるように、私たち一人一人の人生を全うとする「END」も同じです。それは単に終わりということではなく、私たちにとって、それを目指して歩む目標なのです。
世間一般でよく「終活」という言葉を耳にします。人生の終わりの時に向けて、身の回りの整理をしたり、葬儀やお墓の準備をしたりすることを指す言葉だと思います。私たち信仰者が「終活」ということを語る時、考えるのはそれだけではありません。人生の終わりの時、それは、この世の生を終え、イエス様と相まみえる時です。私たちがその目標に向かって、今をどう生きるか、そのように見据えて歩むことが何より「終活」ということなのだと思います。そのように、私たちが人生の終わりを見据えて歩もうとしていくとするなら、それは何より、今の一日一日をしっかりと足を踏みしめて生きるためなのだと思います。
本日、ヘブライ書12:1-2の御言葉を選ばせていただきましたが、この御言葉を読みながら、「自分に定められている競走を忍耐強く走り抜こうではありませんか」という言葉に心を留めていきたいと思います。私たちの歩みには色々なことがありますが、その中で私たちはそれぞれ私たちに定められた競争を私たちなりに忍耐をもって「END」に向かって走り抜こうとしていくのが私たちの信仰の歩みなのです。

その中で、心に留めていきたいのは、そのような私たちの歩みというのは、決して「一人の歩みではない」ということです。ヘブライ12:1-2には「おびただしい証人の群れに囲まれている」と書かれています。私たちと同じようにイエス・キリストを信じ、イエス・キリストを見上げて歩んでいる「証し人」たちが私たちの歩みに伴っているんだと書かれているのです。私たちはそのように多くの兄弟姉妹と連なりながら、その繋がりに力づけられ、励まされながら、私たちに託された競争を歩んでいこうとしていくのです。

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