「祈りで育まれる」

マタイによる福音書18章19-20節

 本日、成長感謝礼拝を献げるにあたって、この「祈り」について考えていきたいと思いました。「祈る」という視点から「成長」を考えていきたいと思うのです。私たちは「祈る」ということが、成長に繋がっていくことがあります。私たちが祈りを知り、その大切さと確かさを知り、祈りが私たちの身近なものとなっていく時、そこには私たちを成長させていくのです。ある人は「祈りというのは私たちにとって信仰生活においての呼吸のようなものだ」とおっしゃいました。まさにそんなふうに、私たちにとって、祈りが、自然に息をするように、ごく身近なものとなっていくとするなら、そのことを通して、育まれていくものがあるのです。それはきっと、それは子どもだけに限らないのだとも思います。全国こひつじ会キャンプで行なったように、「自分の言葉で祈る」ということから始まって、そのような祈りを通して、神様の取り扱いを経験していく…。目には見えない神様の取り扱いというものを、身をもって経験していくということは、本当に特別なことだと思います。そのような祈りの経験は、私たちを豊かに育む出来事となっていくのです。
私自身、そのようにして育まれてきました。特に私の中で思い出すのは、青年時代の経験です。私は青年時代、東京にある志村教会というところに集っていました。そんな中、青年たちの交わりの中で本当にたくさんのことを教えられました。その志村教会で、青年たちによる祈りの集まりがもたれるようになりました。「大路」という名前の集まりなのですが、月に一度土曜日に教会に集まり、みんなで讃美したり、近況を話し合う分かち合いの時間をもったり、祈りの時間をもったりしていました。その時に色々な経験を通して、本当に「祈りというのは力があるんだ」ということを教えられました。しかも、自分一人で祈るだけでなく、みんなで一緒に一つ一つの課題を覚えて祈るということが、本当に力があるんだということを、身をもって経験したのです。その度に「祈りってすごい」しかも「一人だけで祈るんじゃなくて、みんなで祈ることの力ってすごいな」と思わされました。
物事には「祈っているからこそ分かること」があります。祈ってきたから、祈り続けてきたから、分かることがあるのです。何も事情を知らない人にとっては「そんなのただの単なる偶然だよ」と思うかも知れません。ですが、祈ってきた人には「いや、そうじゃないんだ」と分かるのです。「これは祈りの結果だ」と分かるのです。その祈りが答えられたとしても、未だ、目の前にはたくさんの課題があるかも知れません。自分たちではどうにもならないようなこともあったりするかも知れません。しかし、私たちは祈りの確かな力を噛みしめながら、その祈りにしっかりと立とうとしながら、今、私たちができること一つ一つに務めようとしていくのです。そこに私たちの変わらない希望があるのです。そのような希望の中に歩む中で、私たちが時に挫折や失望を経験しながらも、たくさんの恵みの経験をさせられながら、私たちは豊かに成長していくことができるのだと思います。教会というのは、そのような中でこそ、成長していくのです。

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