本日のローズンゲンの御言葉です。
「なぜ、あなたは神と争おうとするのか。神はそのなさることを/いちいち説明されない。神は一つのことによって語られ/また、二つのことによって語られるが/人はそれに気がつかない。」ヨブ33:13-14
「耳ある者は、“霊”が諸教会に告げることを聞くがよい。勝利を得る者には、神の楽園にある命の木の実を食べさせよう。」黙示録2:7
本日の箇所には次のように記されています。
「なぜ、あなたは神と争おうとするのか。神はそのなさることを/いちいち説明されない。神は一つのことによって語られ/また、二つのことによって語られるが/人はそれに気がつかない。」
この言葉は、ヨブ記の御言葉です。苦難の只中で、神様に嘆き、反発し、訴え続けるヨブに対し、エリフが語ったのが、この言葉でした。この言葉を読みながら、「なぜ、あなたは神と争おうとするのか」という言葉が心に留まります。ここで神様と争っているヨブについて考えさせられます。ヨブはこの時、必ずしも神様に反発したがっていたわけではなかったのだと思います。そうではなく、あまりにしんどい状況の中で、その思いをぶつけるように、神様に必死に訴えかけていたのだと思います。そんなヨブのことを思う時、ヨブの心境が痛いほど分かりますし、何とも言えない思いにさせられます。そして、同時に思うのです。私たちって、こういうことがあるんじゃないかな…。私たちというのは、時々に本当に不器用なところがあります。たとえば、人との向き合い方でも、こういうことがあったりするんじゃないでしょうか。誰かに対して、私たちは時に、その人に期待したい、信頼したいと思っているからこそ、その人に対して過剰に求めてしまったりすることがあるんじゃないかと思うのです。そして、そんなふうに求めてしまうからこそ、相手への不満が出てきたり、その不満が相手への呟きになっていったり、求めていたことが得られないということで相手に失望したり、相手とぶつかったり、心を閉ざし、相手との間に壁を作ってしまったりということがあるのではないかと思うのです。人とぶつかってばかり、どこに行っても敵を作ってばかりという人がいたりします。ですが、その人というのは、実のところ、人と対立したいわけではなく、その人は誰よりも人を求めているということがあります。そのような求めがいつの間にか、残念な結果を生んでしまっているということがあるのです。人との関係でそういうことがあるように、神様との関係でもそういうことがあるのだと思います。本日の箇所を読みながら、改めて、そんな私たちの不器用さを思いました。そして、そんな私たちに呼びかけられているのは、「あなたには分かっていない、気づいていないことがあるんだよ」という呼びかけなのだと思います。私たちは時に目先のことだけを見て、それだけで一杯いっぱいになってしまっていることがあるのではないでしょうか。そんな中、自分には分かっていないことがあるし、気づいていないことがある…。そのようなことを心に刻みながら、神様の御前に心静め、一つ一つのことを思い返してみていく時、改めて知らされること、気づかされていくことがあるのではないかと思います。すぐに目先のことで一敗いっぱいになってしまう私たちがいます。そんな中、主の御前に心静めながら、御言葉に聞きながら、その都度、自分の思いを軌道修正させられながら、歩んでいくことができたらと思います。
鈴木牧人
