本日のローズンゲンの御言葉です。

「主は答えて、その民に言われた。『見よ、わたしは穀物とぶどうとオリーブを/お前たちに送り、飽き足らせよう。お前たちが国々の中で恥を受けることを/わたしは二度と許さない。』」ヨエル2:19

「イエスは五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで賛美の祈りを唱え、パンを裂いて、弟子たちに渡しては配らせ、二匹の魚も皆に分配された。すべての人が食べて満腹した。」マルコ6:41-42

本日の箇所には、次のように記されています。

「イエスは五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで賛美の祈りを唱え、パンを裂いて、弟子たちに渡しては配らせ、二匹の魚も皆に分配された。すべての人が食べて満腹した。」

この箇所は「五千人の供食」と言われている箇所の一節です。ある時、イエス様は、成人男性だけで五千人はいたとされる群衆を五つのパンと二匹の魚だけで満たしてくださったのでした。本日の箇所を読みながら、心に留まったのは、「すべての人が食べて満腹した」という御言葉です。この時、彼らが経験した満腹感は、単にお腹がいっぱいになったということだけではなかったんじゃないかと思います。人々はこの時、お腹だけでなく、心もいっぱいになったのではないでしょうか。

ふと思い出したことがあります。数年前、天に召されたKさんのことです。Kさんは古くからの姪浜教会員でしたが、体調が悪く、中々礼拝に出席することができないでいました。そんなKさんと私が最後にお話したのは、Kさんが召される数か月まえのクリスマスの後のことでした。当時、コロナの影響でクリスマスのプログラムができないでいました。その代わりに、小分けの袋にクリスマスプレゼントを入れて皆さんにお渡しすることになったのです。プレゼントの中には、紅茶のパックとお菓子も入れていました。本当でしたら、皆で紅茶やお菓子などをいただきながら、一緒に交わりの時を持ちたいところです。ですが、そのようなことをすることができないため、せめてご自宅に帰って、クリスマスのお祝いをしていただけたらということになったのです。そのクリスマスプレゼントをKさんのところにも届けました。すると、Kさんから電話連絡があり、「届けてくれて嬉しかった」とおっしゃってくださいました。その電話の中で、Kさんがこんなことを教えてくださったのです。

「私が最初に、姪浜教会に訪れたのは、クリスマスでした。クリスマス礼拝をして、その後に愛さん会がありました。その愛さん会の交わりが今でも忘れられません。その時は紙ナプキンをいただいて、お茶とお菓子をいただいたくらいでしたが、『何て温かい交わりなんだろう』と感動したことを今でも覚えています。今回、クリスマスのお菓子やティーパックをいただきながら、その時のことを改めて思い出しました。」

Kさんはそのようなお話をされた後、「イースターの時期になったら、ぜひ教会に行きたい」とおっしゃっていました。残念ながら、翌年のイースターが来る前に、Kさんは天に召されました。

本日の「五千人の供食」の出来事を思い巡らせながら、Kさんのことを思い出しました。クリスマスの愛さん会で、紙ナプキンの上にお茶とお菓子をのせて、みんなと交わりながら、「何て温かい交わりなんだろう」と感動されていたKさんの姿を思い浮かべながら、Kさんも本日の箇所にあるように「食べて満腹した」のだろうなと思ったのです。イエス様のもとには、そのような交わりがあるのです。

鈴木牧人

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