本日のローズンゲンの御言葉です。
「主は人の一歩一歩を定め/御旨にかなう道を備えてくださる。人は倒れても、打ち捨てられるのではない。主がその手をとらえていてくださる。」詩37:23-24
「しかし、強い風に気がついて怖くなり、沈みかけたので、『主よ、助けてください』と叫んだ。イエスはすぐに手を伸ばして捕まえ、『信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか』と言われた。」マタ14:30-31
本日の箇所には、次のように記されています。
「しかし、強い風に気がついて怖くなり、沈みかけたので、『主よ、助けてください』と叫んだ。イエスはすぐに手を伸ばして捕まえ、『信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか』と言われた。」
この箇所は、弟子たちがガリラヤ湖で大嵐に遭遇した箇所です。弟子たちは、その嵐に戸惑い、恐れながら、その中で嵐の中、湖の上を歩いてこられるイエス様の姿を見ます。最初、弟子たちは、それがイエス様だと分からずに、「幽霊だ」と思い、おびえました。ですが、イエス様から「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない。」(14:27)という言葉を聞き、弟子たちは自分たちを取り戻していきます。そして、弟子のペトロは、イエス様に対し、「主よ、あなたでしたら、わたしに命令して、水の上を歩いてそちらに行かせてください。」(14:28)と願い出たのでした。イエス様は、ペトロに対し、「来なさい」(14:29)と言われます。そうして、ペトロは湖の上を歩き出したのでした。しかし、湖の上を歩き始めたところ、周りに強い風に気がついて怖くなってしまいます。すると、ペトロは湖にズブズブと沈み込んでいってしまったのでした。
イエス様を真っすぐに見つめ、イエス様に真っすぐに応えようとしていた時には、湖の上でさえ歩くことができていました。しかし、イエス様ではなく、周りのことに眼差しが向いた時、そこに立つことができずに、心は恐れでいっぱいになり、ずぶずぶと沈みこんでしまったのです。この姿を見る時、時々の自分自身が心に迫ってきます。ある時は、イエス様を見上げて歩んでいるのですが、ともするとすぐに周りのことに心奪われてしまって、すぐに心がズブズブと沈みこんでしまってしまうのです。そんな自分を痛感させられながら、本日の御言葉で何より心に留まったのは、「イエスはすぐに手を伸ばして捕まえ、『信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか』と言われた。」(14:31)という言葉でした。イエス様ではなく、周りに心奪われ、ずぶずぶと湖に沈み込んでしまおうとしていたペトロに対して、イエス様は手を伸ばしてくださいました。そして、ペトロを捕らえ、支えてくださいました。そうして、ペトロは救われたのです。
この様子を見る時に、自分自身もそうだなと思うのです。そして、このイエス様がいるから、自分はここまで歩んでくることができたんだなと思うのです。今もともすると、すぐに、イエス様を見失ってしまいそうになり、ズブズブと沈みそうになってしまうことがあります。ですが、そんな私に、イエス様は手を差し伸べてくださるのです。そのイエス様の支えによって、自分はここまで歩んでくることができたんだなと思うのです。
そんなふうに思いながら、改めて、私たちの信仰とは、私たちの力で何とかするものではなく、ひたすらイエス様の支えの中で、イエス様に赦され、憐れまれ、捕らえられながら、歩んでいくものなんだなと思うのです。その主に自分自身の人生を預けていく歩みが、私たちの信仰の歩みなのだと思うのです。
鈴木牧人
