「互いに愛し合いなさい」
ヨハネによる福音書13章31-35節
「感受性ゲーム」というものがあります。五名参加のゲームで、まずプレイヤーに封筒が手渡されます。その封筒に三角形や長方形などの形が異なるピースが数枚入っています。それらのピースを上手く組み合わせて正方形を作っていくというゲームです。ですが、最初は、封筒に入っているピースを組み合わせても、正方形が作れなかったりします。そこで互いのピースを交換し、正方形を作ろうとするのです。ただ、そのゲームをしている間は誰もしゃべってはいけません。お互いのピースを交換するという時に、自分が欲しいと思うようなピースがあっても要求してはいけません。あくまで、自分から誰かにあげるという形でしかピースを渡すことはできないのです。
色々なことを考えさせられるゲームなのではないかと思います。私たちの生き方に大切なヒントを与えてくれているのではないかと思います。私たちの身の周りの色々な状況に置き換えて、このゲームを考えることができるかも知れません。私たちが自分のことだけを考え、満足してしまうのではなく、相手のことを思いやり、相手に必要なことは何だろうかと考え、自分ができることをする…。そうすることによってお互いが満たされていく…。そういうことってあるのではないかと思うのです。私たちがそのことに気づいて、実際に自分の中のピースを差し出していく…。そこから今まで滞ってしまっていた何かが動き出す…。これまで開かれなかった道が開かれていく…。そういうことってあるのだと思うのです。
本日の聖書の箇所は、イエス様が弟子たちにお話になった言葉です。イエス様はここで「あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」(13:34)と言われました。この言葉を読む時、「感受性のゲーム」を思い出します。「互いに愛し合う」というのは、先ほどのゲームのように、相手のことを思いやりながら、相手に必要なこと、相手が求めているものは何だろうと思いを巡らし、私たちができることをしようとしていくということだったりするのではないでしょうか。私たちが実際の歩みの中で、このゲームのようにお互いに自分が持っているものを差し出して、お互いを補い合い、そうすることによって、互いに満たされていく…。互いに愛し合うことというのは、そういう歩みなのではないかと思います。
私たちは覚えていたいと思います。私たちは皆、自分自身の中に誰かに渡すことができる「ピース」を持っているということです。その「ピース」はその人の欠けた部分を埋めることができるのです。私たちはそれぞれのその「ピース」を手渡すために、何より相手に聞きながら、相手のことをよくよく思いやる必要があります。自分たちでどうしたらいいか分からない時には神様に祈る必要もあるのだと思います。そんなふうに相手に聞き、相手を思いやりながら、祈りつつ、私たちが私たちの内にある「ピース」を渡そうとしていく…。そのような関係の中で、互いに満たされていくことがあるのだと思います。「互いに愛し合う」歩みはそのような歩みから始まっていくのではないでしょうか。
