本日のローズンゲンの御言葉です。

「アサは彼の神、主を呼び求めて言った。『主よ、あなたは力のある者にも無力な者にも分け隔てなく助けを与えてくださいます。わたしたちの神、主よ、わたしたちを助けてください。わたしたちはあなたを頼みとし、あなたの御名によってこの大軍に向かってやって来ました。あなたはわたしたちの神、主であって、いかなる人間もあなたに対抗することができません。』」歴代誌下14:10

「その子が来る途中でも、悪霊は投げ倒し、引きつけさせた。イエスは汚れた霊を叱り、子供をいやして父親にお返しになった。」ルカ9:42

本日の箇所には、次のように記されています。

「アサは彼の神、主を呼び求めて言った。『主よ、あなたは力のある者にも無力な者にも分け隔てなく助けを与えてくださいます。わたしたちの神、主よ、わたしたちを助けてください。わたしたちはあなたを頼みとし、あなたの御名によってこの大軍に向かってやって来ました。あなたはわたしたちの神、主であって、いかなる人間もあなたに対抗することができません。』」

ここには、南ユダの王であるアサについての記述が記されています。アサについて、歴代誌下14章には、アサ王が南ユダの国にあった偶像を取り除いたり、ユダに砦の町を次々と築いていった様子が記されています。そんな中、南ユダの国に平穏が訪れたのです。そして、その平穏について、人々は「主を求めたからこそ、主は周囲の者たちから我々を守って、安らぎを与えてくださったのだ」(歴代誌下14:6)と語ったのでした。これらの記述を読みながら、私たちもアサのように神様との出会いの中で与えられた平穏を「主を求めたからこそなんだ」と噛みしめながら、証しする者とされていけたらと思います。そんなことを思いながら、私たちにとって「偶像を取り除く」とはどういうことだろうと思いました。この時代、「偶像」とは何でしょう。単にキリスト教以外の宗教のことだけを指しているわけではないと思います。「偶像」とは、「神様ではないものをまるで神様にする」ことです。私たちの心には根深く、「偶像の神になびいてしまう心」というものがあって、いつの間にか、偶像をつくり出し、それに捕らえられてしまうということがあるんじゃないだろうかと思うのです。そのような状況に抗いつつ、アサ王のように、主を求めていくことができたらと思います。そのような中で、私たちは色々な思いを通らされることがあるかも知れません。ですが、きっと、そこには、私たちと思いを同じにしてくれる人との出会いもあるのだと思います。アサもそうでした。南ユダの人たちはアサと思いを一つにし、町を建設していったのです。そして、共に「主を求めたからこそ、主は周囲の者たちから我々を守って、安らぎを与えてくださったのだ」と語ったのでした。教会というのは、そんなふうに「主を求める」思いを共にしながら、建てあげられていくのだと思います。

鈴木牧人

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