「愛が冷える時代」

マタイ242-14

本日の箇所はいわゆる「終末」「世の終わり」について語られているメッセージです。ただ、ここで注意したいのは、単に「世の終わり」について語られているだけでなく、こういうことが起こっても、早まって「世の終わりが来た」と勘違いしてはいけないということも書かれているということです。24:6-8には次のように書かれています。「戦争の騒ぎや戦争のうわさを聞くだろうが、慌てないように気をつけなさい。そういうことは起こるに決まっているが、まだ世の終わりではない。民は民に、国は国に敵対して立ち上がり、方々に飢饉や地震が起こる。しかし、これらはすべて産みの苦しみの始まりである。」(24:6-8)今もそうかも知れませんが、当時、戦争が起こったり、自然災害が起こったりすると、人々はすぐに「世の終わりが来たんだ」と考えました。これに対して、イエス様は、そんなふうに早まって考えてはいけないよとお話しになったのです。世の終わりが来ることについてはしっかりと受け止めなければならないし、そのことに備えていかなくてもいけないけれども、慌てたり、早まって考えていけないとおっしゃったのです。

本日の箇所を読みながら、心に留まるのは24:12の御言葉です。「不法がはびこるので、多くの人の愛が冷える。」(24:12)この言葉を読みながら、思い浮かべたことは、「本当は、みんな、愛の思いをもっていたんだろうな」ということでした。けれども、周りの状況として、不法がはびこり、心ないことがたくさん起こって、どれだけ相手を思いやっても、思いが踏みにじられてしまうようなことがたくさんある。そういう状況の中で心を痛め、傷つきながら、失望し、本来、そうありたいと思っていた愛の思いがどんどん薄れてしまい、多くの人たちの愛が冷えていってしまっている。そういう状況を思い浮かべたのです。実際、私たちはそういう経験をさせられることがあるのではないでしょうか。本当は「愛に生きたい」という思いがあるのですが、実際の歩みの中で、思いを踏みにじられ、傷つけられるような経験をさせられ、本来、そうありたいと思っていた愛の思いがどんどん薄れてしまい、愛が冷えてしまうのです。イエス様が、世の終わりの時には、そういう状況になるんだとお話しになりました。しかし、その一方でお話しになったのが、「しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる」(24:13)ということでした。「愛が冷えてしまうような時代の中にあって、最後まで耐え忍びなさい。たとえ周りの状況として、愛が冷えてしまうかも知れない。だけれども、愛を見失ってはいけない」と励ましてくださったのです。そんなイエス様のメッセージを聞きながら、色々なことを思います。私たちが、隣りにいる誰かを思い、寄り添っていこうとする時、様々な経験をさせられることがあります。綺麗事ではすまない色々な思いを通らされることがあります。思いやっていた相手から傷つけられたり、失望したり、心裂かれるような思いを通らされることがあるのではないでしょうか。しかし、そんな中にあって、愛を見失わないでいたいと思います。そして、そのために何より、主を見上げていきたいと思うのです。(鈴木牧人)

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