「主はすぐ近くにおられます」

ヘブライ4:15-16

私が大学生の頃のことです。当時、私が通っていた東京の教会に、私と同い年の女子青年が集っていました。彼女は沖縄の出身で、高校を卒業し、看護師を目指すために東京に来ていました。昼間は病院で働き、夜からは夜間の看護学校に行くという生活をしていました。お話を聞くと、本当に忙しくて休む間もないほどでした。東京の一人暮らしは色々と生活などでも慣れないことや、しんどいこともあったのではないかと思います。本来、とても優しくて明るい人だったのですが、当時の彼女の表情で私が思い出すのは、しんどそうな顔をしている彼女でした。そんな彼女のためにいつも祈っていました。仕事が忙しいため、礼拝にも時々にしか来れませんでしたが、たまに礼拝に来て、一緒に讃美していると、本当に嬉しそうに讃美していました。そんな彼女が何かの機会に証をしてくれたことがあるのです。その時に彼女が選んだ聖書の御言葉が、本日お読みしたヘブライ4:15-16の御言葉です。ここで言われている「この大祭司」というのは、イエス様のことです。「この大祭司は、わたしたちの弱さに同情できない方ではなく、罪を犯されなかったが、あらゆる点において、わたしたちと同様に試練に遭われたのです」(4:15)と書かれています。彼女はこの御言葉を読みながら、こんなふうに言っていました。「この御言葉を読む時、イエス様という方が、私の弱さをちゃんと分かってくださる方なんだと思います。イエス様は私たちが経験するあらゆる試みや試練に遭われ、私の思いをちゃんと分かっていてくださるんだなと思うのです。そして、このイエス様が私たちを本当の意味でお救いになることができるんだなと思うんです。」彼女はそのように話しながら、目が涙で一杯になっていました。私は彼女が大変な状況で頑張っているのを知っていましたから、証を聞きながら、改めて、彼女のしんどさを思いました。でも同時に思ったのは、「ああ、そのような状況に置かれている彼女に対しても、イエス様は慰めることがおできになるんだな」ということでした。

今回、姪浜教会の信仰告白を作るにあたって、「イエス・キリスト」について考えながら、ふと彼女のことを思い出しました。そして、彼女が語ったイエス様のことをご一緒に分かち合いたいと思いました。何より、私たちがイエス様のことを分かち合う時、彼女がそうであったように、私たちにとって何より近い存在として、イエス様のことを分かち合っていきたいと思います。このイエス様は誰よりも私たちにとって近い方で、私たちのことを誰よりもご存じで、私たちが弱い時、しんどい時、一番近くにいてくださる…。そして、誰にも分かってもらえないような私たちの思いさえもご存じで、受け止めていてくださる…。そのような方として分かち合いたいと思うのです。そして、そのような方であるからこそ、私たちがしんどい時、イエス様がおられることが私たちにとっての慰めとなるのだということ、そして、私たちを本当の意味で救うことがおできになるんだということを覚えていたいと思うのです。

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