「あなたがたはこの霊を知っている」

ヨハネ14:16-17

聖霊なる神様について、イエス様は、様々な箇所でお話しくださいましたが、中でも印象的な御言葉の一つがヨハネ3:8です。「風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞いても、それがどこから来て、どこへ行くかを知らない。霊から生まれた者も皆そのとおりである」(ヨハネ3:8)。ここでイエス様は「霊から生まれた者」について「風」のたとえでお話しになりました。風は、目には見えません。私たちは風がどこから来て、どこへ行くかも分かりません。イエス様はそのような「風」を「聖霊」の働きに例えてお話になりました。「聖霊」の働きは、風のように目には見えないし、捕らえることもできないけれども、私たちは風が吹く時、そこに風の働きが起こされていることはちゃんと分かっているし、風の働きを肌身で感じている…。聖霊に導かれて生きている人というのは、「風」を感じる人のように、見えざる聖霊の働きをちゃんと受け止めて、その聖霊に導かれながら、生きている人なんだとお話しになったのです。

 本日の箇所で、イエス様がお話になっていることも、根底には同じメッセージが流れているのだと思います。本日の箇所で、イエス様は、聖霊について、この世は、「この霊を見ようとも知ろうともしないので、受け入れることができない」(14:17a)んだとお話しになりました。どうして、この世は、聖霊を見ようもしないのでしょうか。それは、目で見ることもできないし、捕らえることもできないからだと思います。ですから、この世の多くの人は、聖霊を受け入れることも、認めることもしませんし、ましてや、ちゃんと知ろうともしないのです。しかし、イエス様は本日の箇所で次のようにも言われました。「しかし、あなたがたはこの霊を知っている。」(14:17b)多くの人々は、聖霊について、受け入れることも、認めることもしないかも知れないけれど、私たちは風を感じることができるように、私たちは、聖霊が確かに私たちのただ中に生きて働いていることを知っている…。今も、そして、これからも、この霊が私たちと共に、私たちの内にいてくださっていることを知っているんだ…。そのようにおっしゃったのです。

本日の箇所を読みながら、改めて、私たちの信仰というのは、こういうところに立つ信仰なんだなと思いました。私たちの周りの人たちは、神様のことを見ようとも知ろうともせず、受け入れることがないかも知れません。しかし、そのような状況の中で、私たちはこの方を覚え、この方を見上げていく…。そのような信仰なのです。ただここでさらに思うのは、「世は、この霊を見ようとも知ろうともしない」という時の「世」の中に私たちをも含んでいるじゃないかということです。私たち自身、聖霊が確かにおられることが分かっていたはずなのに、いつの間にか、そこのところを見失ってしまって、本日の箇所に書かれているように、いつの間にか「聖霊の働きを見ようとも知ろうともせず、受け入れることもない」という状態になってしまっていることがないだろうかと思うのです。

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