「あなたがたの中で善い業を始められた方」

フィリピ1:1-6

 本日からフィリピの信徒への手紙を読み進めていきます。フィリピの信徒への手紙は、全部で4章の短い手紙です。しかし、この手紙の中には、たくさんの大切なメッセージが詰まっています。中でも大切なメッセージがあります。それは「喜びなさい」というメッセージです。パウロはこの手紙の中で、繰り返し、「喜び」について語っています。それゆえ、このフィリピの信徒への手紙は、「喜びの手紙」と呼ばれています。私たちの歩みには色々なことがあるかも知れない…。けれども、喜びを忘れてはいけないよ…。喜びなさい…。この手紙を読んでいますと、そのようなメッセージが心に迫ってきます。

 本日の箇所は、そのフィリピの信徒への手紙の冒頭部分です。ここにはすでに「喜び」ということが言われています(1:4)。そんな中、本日の箇所の大切なキーワードを挙げるとすれば、二つのことが挙げられるのではないでしょうか。一つは「感謝」(1:3)というキーワードです。もう一つは「確信」(1:6)というキーワードです。「感謝すること」、「確信を持つこと」…。それは本当に大事なことだと思います。ただ、この二つのキーワードについて、さらに思うことは、「感謝すること」「確信を持つこと」が、「喜ぶこと」と繋がっているのではないかということです。どうでしょう。感謝から喜びが生まれる…。感謝が喜びの源泉となる…。そういうことがあるのではないでしょうか。あるいは、「確信」と「喜び」も同じだと思います。私たちは自分が揺れていては見えてこないもの、聞こえないもの、味わえないものがあるのではないかと思います。

先日、壱岐教会に出かけるのに船に乗りました。その船の帰りが一人でしたので、タブレット端末に入れていた映画でも観ようとしました。でも、その日、船がだいぶ揺れたのです。映画を観ていたのですが、内容が全然入ってきませんでした。船に揺られていなくても、私たちの心が揺れている時、同じようなことがあるのではないかと思います。映画が全然入ってこないように、目の前のことが入ってこない…。そういうことがあるのではないかと思うのです。私たちは自分が立つべきところに立っていく時、見えてくるものがあります。聞こえてくるもの、味わうことができるものがあるのです。喜びもそうだと思います。確信することと、喜ぶことは繋がっているのだと思います。

私たちは時に私たちの置かれている現実が、先行きが見えず、出口の見えない問題だらけの状況に閉じ込められてしまっているかのような思いにさせられることはないだろうかと思います。そんな状況の中で、喜びが見いだせなくなってしまうようなこともあるのではないでしょうか。そんな中、今一度、「感謝すること」や「確信をもつこと」について、丁寧に考えていくことができたらと思います。そこから見えてくるものがあるのではないでしょうか。私たちがまずすべきことが、そういうところから見えてくるということがあるのではないかと思うのです。

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