本日のローズンゲンの御言葉です。

「今日わたしが命じるこれらの言葉を心に留め、子供たちに繰り返し教え、家に座っているときも道を歩くときも、寝ているときも起きているときも、これを語り聞かせなさい。」申命記6:6-7

「わたしのこの命令は、清い心と正しい良心と純真な信仰とから生じる愛を目指すものです。」1テモテ1:5

私たちの教会では、教会に初めて来られる方、また、バプテスマや転入会を希望される方に「7ステップの聖書の学び会」を行なっています。その学び会でいつも「御言葉のベクトル」ということについてお話ししています。私たちが聖書の御言葉に聞こうとしていく時、聖書はきっと私たちを「三つの方向のベクトル」に導こうとしていく…。そのような話をしています。

その三つの方向のベクトルの一つ目は、「神の秩序」の方向のベクトルです。私たちは御言葉に聞くことを通して、自分自身が整理されていくという経験をしていくのだと思います。聖書の御言葉を通して、何が正しいのか、何が間違っていることなのかということだったり、私たちが何をすべきか、どこに向かっていくべきかということを整理されていくのだと思います。そして、そのように自分自身が整理されながら、神様の霊的な秩序、神様の平安と平和に、生かされていくのではないかと思います。

二番目に思うベクトルは、「関係」の方向です。私たちは御言葉を通して、様々な関係に生きる者に招かれているのだと思います。何より神様との関係に生きる者へ、そして、他者との関係に生きる者へ招かれているのだと思います。

そして、三番目に思うベクトルは、「広がり」の方向です。私たちは御言葉を通して、常に新しいチャレンジに招かれていきます。そのように私たちは御言葉を通して、自分自身に砕かれ、拓かれ、新たな歩みに押し出されていくのだと思います。

この三つの方向のベクトル、「神の秩序」の方向、「関係」の方向、「広がり」の方向、御言葉はそのような方向に私たちを導かれていくのではないかと思うということをお話ししています。

本日の御言葉には、次のように記されています。

「わたしのこの命令は、清い心と正しい良心と純真な信仰とから生じる愛を目指すものです」

本日の御言葉には、「わたしのこの命令は〜目指すものです」ということが記されています。

本日の御言葉を読みながら、改めて御言葉の方向のベクトルについて考えました。「清い心と正しい良心と純真な信仰とから生じる愛」と、神様の平和と平安に基づく「秩序」や「関係」に生かされてくことは、繋がっているのではないかと思います。そんなことを思わされながら、改めて、御言葉を信じ、御言葉に従っていくとはこういうことなんだなと思わされました。何が正しいことなのか、何が良いことなのかが分からなくなってしまいそうになる時代です。そんな中、正しい良心でもって事柄を見極め、愛を見失わないためにも、御言葉にしっかり向き合って歩んでいけたらと思います。(鈴木牧人)

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