「キリストに連なりながら」

フィリピ2:1-2

「そこで、あなたがたに幾らかでも、キリストによる励まし、愛の慰め、“霊”による交わり、それに慈しみや憐れみの心があるなら、同じ思いとなり、同じ愛を抱き、心を合わせ、思いを一つにして、わたしの喜びを満たしてください。」(2:1-2)

この御言葉を読んでまず目を留めたいのは、冒頭の「そこで」という御言葉です。この御言葉は「繋ぎの言葉」です。パウロが1:27-30で語ってきたメッセージを踏まえて、「そこで」と語っているのです。先週、私たちは1:27-30の御言葉の中から「あなたがたには、キリストを信じることだけでなく、キリストのために苦しむことも、恵みとして与えられているのです」(1:29)という御言葉に注目して考えてきました。そんな中、思うのは「キリストのために苦しむことも恵みとして与えられている」というメッセージと、フィリピ教会の人たちが「一つになる」というメッセージは密接に繋がっているんじゃないかということです。フィリピ教会の人たちが一つになる…。そうしてこそ、フィリピ教会の人たちは、苦しみことの中で恵みを見出すことができるのではないかと思うのです。

1:27-30の御言葉を読みながら、改めて、パウロがフィリピ教会の人たちが置かれた苦しみや痛みを思いやりながら、これらのメッセージを語ったんだなということを思います。1:30でも述べられていますが、フィリピ教会の人たちが経験していた苦難は、パウロ自身がこれまで経験してきたことでもありました。パウロは同じ戦いを経験し、同じ思いを通らされてきたのです。そんな中、フィリピ教会の人たちの苦しみを我がことのように思いながら、「だからこそ、忘れないでほしい」と語りかけていたメッセージが1:27-30の御言葉なのではないかと思います。そんな中、特にフィリピ教会の人たちが一つになっていくことをパウロは願っていたのではないかと思うのです。

フィリピ教会は、コリント教会などと違って、教会の中に具体的な問題があった教会ではありませんでした。むしろ、それぞれが皆、イエス様を真っすぐに見上げて歩んでいた教会でした。ですが、そんなフィリピ教会に対して、パウロは繰り返し、教会の一致を呼びかけました。それはともすると、彼らもそういうふうになってしまうかも知れなかったからではないかと思います。信仰に真っすぐなフィリピ教会の人たちでさえ、いつの間にか、自分だけの世界に入り込んで、1人で抱え、1人で悩み、1人の思いに閉じこもってしまうことがある…。そして、いつの間にか、「キリストによる励まし」、「愛の慰め」、「“霊”による交わり」、そして、「慈しみや憐れみの心」がぼやけてしまうことがある…。そういう心配があったから、教会の一致を呼びかけているのではないでしょうか。

フィリピ教会がそうであったように、私たちはともすると、自分のことだけしか考えられなくなってしまうということがあるんじゃないかと思います。そんな中、本日の箇所で、パウロがフィリピ教会の人たちに対して呼びかけている「一つになりなさい」というメッセージは私たちに対しても呼びかけられている大切なメッセージなのではないでしょうか。

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