「神はキリストを高くあげ」

フィリピ2:9

「このため、神はキリストを高く上げ、あらゆる名にまさる名をお与えになりました。」(2:9)

 フィリピ2:5-11は「キリスト讃歌」と呼ばれ、初代教会のクリスチャンたちが歌っていた讃美だと言われています。初代教会の人たちは、この「キリスト讃歌」をどのような思いで歌ったのでしょうか。神でありながら、人となられ、十字架にまで向かわれたイエス・キリストがやがて神に高く上げられ、あらゆる名にまさる名をお与えになったということを慰めと希望をもって讃美したのではないかと思います。フィリピ教会の人たちを始め、初代教会のクリスチャンたちが置かれていた現実には様々な問題や課題がありました。当時のクリスチャンたちは少数者でしたから、目の前の問題や課題の前に自分たちが無力に思えたこともたくさんあったのだと思います。自分たちが一生懸命神様を見上げて、何かをしようとしても、それらのことが全部暗闇の中に吸い込まれてしまうような、そういう思いにさせられたこともあったのではないでしょうか。しかし、そんな初代教会の人々がこのキリスト讃歌を歌っていたのです。イエス・キリストはすでに世に勝っておられる…。あの十字架の死からも勝利をし、高く引き上げられた…。そのような思いで讃美したのです。

 本日、改めて、この「キリスト讃歌」のメッセージが心に迫ってきました。現在、私たちの周りには新型コロナウィルスの問題が取り囲んでいます。その問題でもそうだと思いますが、私たちは目の前の現実だけを見ていると、そのことですぐに心がいっぱいになり、心が塞いでしまったり、悲しい思いや不安や恐れ、思いわずらいの思いでいっぱいになってしまうようなことがあるのではないかと思います。そんな中、初代教会の人たちの信仰を心に覚えつつ、私たちもこの「キリスト讃歌」に励まされていきたいと思うのです。イエス・キリストは十字架につけられましたが、三日後に復活されました。そして、神はこのキリストを高く上げ、あらゆる名にまさる名をお与えになったのです。私たちはこのイエス・キリストこそ、すでに世に勝っておられるんだということを信じています。改めて、そのことにある希望を心に刻んでいきたいと思います。そして、その希望に生かされていきたいと思います。そして、希望に生かされていくためにも、しっかりと御言葉に繋がっていきたいと思いますし、祈りに繋がっていきたいと思います。御言葉に繋がらないでは、祈らないでは、やっぱり目の前のことだけに一杯一杯になってしまうのだと思います。すぐに目の前の問題に右往左往して、それしか見えなくなってしまうんじゃないかと思います。私自身、本当にそうでした。そんな思いの中で始めたのが、御言葉メールの働きでした。東日本大震災のただ中で、心がすぐに目の前のことで一杯一杯になってしまう中、せめて一日に一度でも御言葉にふれる時を持ちたい…。そういう思いの中で、この働きを始めたのです。その思いが今も変わりません。私たちは御言葉を通して、立ち止まり、心静めながら、今の現実に向き合っていきたいと思うのです。

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