「今はなおさら」

フィリピ2:12-13

本日の箇所で、パウロはフィリピ教会の人たちに「わたしが共にいるときだけでなく、いない今はなおさら」と語りかけています。この時、パウロはフィリピ教会の人たちと一緒にいることができない状態でした。そのような中で、この手紙を通して、フィリピ教会の人たちと何とか繋がろうとしていたのです。本日の箇所を読みながら、パウロとフィリピ教会の人たちがどんな思いだったんだろうと思いました。フィリピ教会の人たちはこの時、迫害のさなかにありました。そういう状況でフィリピ教会の人たちを励ますために書き送ったのがこの手紙です。パウロは本日の箇所で「わたしの愛する人たち」と呼びかけています。パウロはこのように呼びかけながら、何とも言えないような複雑な思いだったのではないかと思います。本当でしたら、フィリピ教会の人たちと直接会いたかったろうと思います。フィリピの町に直接行って顔と顔を合わせて会いたかったのだと思います。こんな時だからこそ、本当ならそうしたいけれども、そうすることができない…。そのような複雑な思いだったのだと思います。

私たちは現在、インターネットによる礼拝を行なっています。今週で二回目になります。先週はイースターでした。バプテスマもありました。本当なら実際にみんなで集まって、イースターやバプテスマをお祝いしたいところでした。ですが、このような状況であるために、インターネットでの礼拝をすることとなり、本当に複雑な思いでした。そんな中、私たちが置かれている状況が、本日のパウロやフィリピ教会の人たちが置かれている状況に重なって来るように思えました。

本日の箇所で、パウロは、フィリピ教会の人たちに「恐れおののきなさい」と呼びかけています。この言葉を読みながら、最初、違和感を覚えました。フィリピ教会の人たちは、迫害のさなかで、ただでさえ、不安や恐れを抱いていたのではないかと思うのです。そういう状況のフィリピ教会の人たちに対して、「恐れおののきなさい」と呼びかけているのです。何か不安や恐れの気持ちを煽られているように感じ、違和感を覚えました。ですが、よくよく考えているうちに、むしろ、このような時だからこそ、大切なメッセージなのかも知れないと思いました。人々の心が様々な心配事や煩い事、恐れに囚われている時だからこそ、本当の意味で恐れなければならないものは何かということを確認していく必要があるのではないだろうかと思ったのです。そして、さらに思いました。私たちが本当の意味で恐れるべきものを恐れていくという時、私たちは、私たちを取り囲むその他諸々の心配事だったり、煩い事から解放されていくということがあるのではないでしょうか。

「恐れる」ということは、それを「重んじる」ということでもあります。私たちが神様をおそれることは、私たちが「神様を重んじる」ということなのです。私たちはそのように神様をおそれる時、神様は私たちにとっての揺るがない重石になるのです。

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