本日のローズンゲンの御言葉です。

「御覧ください、与えられたこの生涯は/僅か、手の幅ほどのもの。御前には、この人生も無に等しいのです。ああ、人は確かに立っているようでも/すべて空しいもの。」詩篇39:6

「キリストは死を滅ぼし、福音を通して不滅の命を現してくださいました。」2テモテ1:10

ある本を読んでいたところ、こんな文章がありました。

「天地創造の神は、ご自分のかたちに似せて人を造られました。その中で一番大きな贈り物は『交わり』です。『人間』という用語が示すように、『間』が大切です。人は神と交わり、人と交わることが本性なのです。」

印象深く読みました。確かに私たち人間は、その文章で語られているように「間」が大事で、その「間」を繋ぐものとして「交わり」が大事なのだと思います。ただ、現在この「交わり」が揺さぶられているのではないでしょうか。コロナの状況の中で、互いに交わりを持つということが難しくなっています。そんな中、いかに本来の「人間」としての私たちを保つことは本当に問われているのだと思います。

本日の箇所には、次のように記されています。

「御覧ください、与えられたこの生涯は/僅か、手の幅ほどのもの。御前には、この人生も無に等しいのです。ああ、人は確かに立っているようでも/すべて空しいもの。」

ここには、私たちの生涯の儚さ、空しさが記されています。しかし、この詩人は、そのような私たちの儚さや空しさを噛みしめるからこそ、続けて次のように語るのです。

「主よ、それなら/何に望みをかけたらよいのでしょう。わたしはあなたを待ち望みます。」(詩篇39:8)

この詩人は、私たちの儚さや空しさを噛みしめながら、「それなら、何に望みをかけたらよいのでしょう」と問います。そして、主に対し「わたしはあなたを待ち望みます」と語りかけるのです。本日の御言葉を読みながら、改めて、私たちは自分たちの脆さ、弱さ、限界を知らされるからこと、主を見上げていくんだなということを思いました。

現在、私たちの教会では病気療養中の方が幾人もおられます。本当なら、そのような方々のところに行き、一緒に祈りたいと思うところです。ですが、現在、コロナの影響で病院に入院された方などは、面会することができません。そのような状況で本当に歯がゆい思いにさせられているのですが、せめてもの思いで、祈祷会で祈っています。そんな中、昨日はT姉からお連れ合いの手術が無事成功したとの報告を聞きました。T姉は「神様が守り、導いてくださったんだと思います。皆さんにも祈っていただき、本当にありがとうございました」とおっしゃってくださいました。T姉の言葉を聞きながら、祈りを通して、繋がっていることの確かさと恵みを改めて噛みしめました。

私たちは突き詰めていえば、空しい存在で、限界や弱さをたくさん抱えています。ですが、そんな私たちを繋いでくださり、確かなところに立たせてくださっている主がおられます。その主を見上げつつ、その主に望みをかけ、歩んでいきたいと思います。

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