本日のローズンゲンの御言葉です。

「神の道は完全/主の仰せは火で練り清められている。すべて御もとに身を寄せる人に/主は盾となってくださる。」詩編18:31

「また、イエスは言われた。「神の国は次のようなものである。人が土に種を蒔いて、夜昼、寝起きしているうちに、種は芽を出して成長するが、どうしてそうなるのか、その人は知らない。土はひとりでに実を結ばせるのであり、まず茎、次に穂、そしてその穂には豊かな実ができる。」マルコ4:26-28

本日の箇所には、次のように記されています。

「また、イエスは言われた。『神の国は次のようなものである。人が土に種を蒔いて、夜昼、寝起きしているうちに、種は芽を出して成長するが、どうしてそうなるのか、その人は知らない。土はひとりでに実を結ばせるのであり、まず茎、次に穂、そしてその穂には豊かな実ができる。』」

イエス様は神の国のたとえとして、蒔かれた種がひとりでに成長し、実を結ばせていく様子を語りました。ここで、農夫がしていることは、この種と「夜昼、寝起き」しながら、共に過ごすということでした。それは言い換えるなら、種と共に、巡っていく季節を過ごしていくことだということなのだと思います。この農夫は、その季節を種と共に過ごしていくことで、種の実りに与っていったのです。私たちがイエス・キリストという種を心に蒔く農夫としてすべきことは、何より、自分の中に蒔かれた種を確かに心で育みつつ、過ぎ行く人生の季節を過ごしていくことなのではないでしょうか。私たちはこの種と共にどのような季節を過ごしていくのでしょうか。このところ、雨が降る日が続いています。雨が降ると、私はつい「雨が降っていやだなぁ」と思ったりしてしまいます。以前、日曜日に雨が降っていて、その様子を見て、少し気持ちが沈んでいたことがありました。すると、その時に、礼拝で献金のお祈りをされていた方が、「この恵みの雨を感謝します。どうか、作物が豊かに育つことができますように」とおっしゃっていました。その言葉を聞き、私はハッとさせられたことがあります。自分のその時の都合のことだけを考えたら、この雨は嫌だなと思わされるのですが、作物の成長のことを考えたら、この雨は恵みの雨に他ならないんだということに気づかされました。農夫が蒔いた種と共に過ごしていく季節には、色々な季節があったのだと思います。そこ季節には、雨が沢山降り注ぐ雨季という季節もあったのだと思います。しかし、この季節を過ぎないことには、種は成長しません。私たちが、御言葉の種を心に育んで過ごす人生の季節も同様なのではないでしょうか。雨季を通らされることもあるのではないかと思います。しかし、それらの季節を通しても、神様は私たちに働き、私たちの思いを越えて、私たちを成長させてくださるのです。大切なことは、この種から離れず、育み続けていくことなのだと思います。

鈴木牧人

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