「惑わされてならない」
マタイ24章15-28節
「そのとき、『見よ、ここにメシアがいる』『いや、ここだ』と言う者がいても、信じてはならない。偽メシアや偽預言者が現れて、大きなしるしや不思議な業を行い、できれば、選ばれた人たちをも惑わそうとするからである。」(24:23-24)
本日の箇所でイエス様は、世の終わりに向かおうとしている混とんとした世界の中で、周りの人たちが「見よ、ここにメシアがいる」「いや、ここだ」言う者がいるだろう…。しかし、そのような人がいたとしても、そのような言葉を信じてはいけない、惑わされてはならない、とお話になりました。この言葉を聞いてどうでしょう。自分は大丈夫、自分はそういう言葉に惑わされないと言い切れるでしょうか。残念ながら、私はそう言い切れません。それは、あの東日本大震災の時のことを思い出すからです。震災の時、私が住んでいた福島では、原発事故について、様々な情報が飛び交っていました。テレビのニュースでは、一貫して、「大丈夫、大丈夫」ということばかりを言っていました。しかし、実際には事故はどんどん深刻な状況になっていました。そのことは十分想像できたのですが、正確な情報が全く入って来ません。そんな中、何が本当なのか、全く分からない状況でした。そんな状況の中で、私たちは本当に右往左往していました。ある人が「こうすればいい」と言えば、「そうかな」と思い、別の人が「こっちの方がいい」と言えば、「やっぱりそっちなのかな」と思い、本当に心がグラグラと揺らいでしまっていました。その時のことを思い浮かべる時、本日の箇所でイエス様が、世の終わりに向かう混乱の中で、惑わされてはいけないよと言われても、自分は大丈夫とは言い切れないのです。
私たちがこの時代の中で惑わされないためにどうすればいいのでしょうか。インターネットでたくさんの情報を集めて、事柄を見極めようとすればいいのでしょうか。しかし、そこには限界があるのではないかと思います。また逆に生半可な情報を得ても、混乱してしまうだけなのではないかとも思います。そのことも東日本大震災で散々経験してきました。そんな色々なことを思いながら、私自身の中に強くあるのは、御言葉に聞くことの大切さです。私は自分自身のことを思う時、危うさだったり、迷いやすさと抱えている自分を思います。そのことを嫌というほど知っているからこそ、御言葉に聞いていきたいと思うのです。
現在、私たちの教会では、毎日の御言葉メールというものを配信しています。感謝なことに色々な方が、御言葉メールを読んでくださっています。先日も「日々送られてくる御言葉メールを読む時、不思議とその時々の自分に語りかけられているように思い、励まされます」とおっしゃってくださっていました。そんなふうに用いられて、ありがたいと思ったのですが、私がもともとこの御言葉メールの配信を始めたのは、東日本大震災の時からでした。震災の混乱の中、「せめて御言葉にふれる時間をもってほしい」と思い、一日に一度、御言葉メールで送ることにしたのです。そんな御言葉メールは一つの例ですが、私たちはこの時代にあって、惑わされないために御言葉にしっかりとつながっていきたいと思うのです。(鈴木牧人)