「一タラントンの福音」

マタイによる福音書25:14-30

本日の箇所は、「タラントンのたとえ」と呼ばれている箇所です。本日のたとえを読みながら思ったのは、私たちもしばしば、本日のたとえの僕たちのように、神様から働きを託されたり、チャレンジを受けることがあるのではないかということでした。しかも、そのチャレンジというのは、私たちからしてみれば、すぐに「分かりました」と引き受けられることばかりではないかも知れません。そんなふうに本日の僕たちの姿が、時々の私たちの姿に重なってくるように思うのです。

そんな中、何より励まされたのが、25:21の御言葉でした。ここで主人は働きを終えた僕たちに「主人と一緒に喜んでくれ」(25:21)と言いました。何というのでしょう。神様からのチャレンジは、私たちにとって、不安や戸惑いを通らされるものであるかも知れません。それを受けた時は、「何で自分がこんなことを?」と、何か厄介事に巻き込まれたような思いにさせられることがあるかも知れません。しかし、この御言葉を読みながら思うのは、神様からのチャレンジは、私たちにとってやがて「喜びへ変えられる」ということです。

さらに25:21の御言葉から、気づかされることがあります。ここで主人が僕をほめたのは「お前は~忠実であったから」(25:21)ということでした。儲けた結果についてはふれられていないのです。このことは大切なメッセージなのではないかと思います。私たちが神様からのチャレンジに応えていく時も、きっとそうなのだと思います。神様は私たちの結果に注目しているのではないのだと思います。そうではなくて、神様は「私たちが神様に対して忠実であろうとしているか」ということに注目しておられるのです。

さらにこの「忠実」という言葉は「少しのものに忠実であった」とも書かれています。タラントンというお金は大金でした。それなのになぜ「少しのものに」と言われているのでしょう。ギリシア語の原文を読みますと、この「少しのもの」という言葉は、複数形で書かれています。つまり「もろもろの少しのものに忠実であった」となるのです。きっとこの僕たちは、五タラントン、二タラントンを一気に十タラントン、四タラントンに増やすような、ギャンブルで一攫千金を狙うようなやり方で儲けたわけではないのだと思います。預かったお金の内、五タラントン、二タラントンの中の五デナリオン、二デナリオンを地道に使いながら、少しずつ、少しずつ、儲けていく…。そんなふうに、長い時間をかけて得られた成果が十タラントン、四タラントンとなったのではないでしょうかと思うのです。そんな僕たちが「もろもろの少しのものに忠実であった」と言われているのではないかと思います。

私たちはつい自分たちの働きについて、成果とか、結果ばかりを気にしてしまいます。そんな中、チャレンジに踏み出す前から、「大丈夫かな」「自分にできるかな」「失敗しないかな」そんなことを気にしてしまいます。でも、神様が私たちに願っておられるのは何より、忠実であること、しかも、小さな一つ一つのことに対して、忠実であることです。その後のことは主が導いてくださる…。私たちはこの信仰でもって踏み出していきたいと思います。(鈴木牧人)

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