おはようございます。
本日のローズンゲンの御言葉です。
主よ、あなたの裁きによって定められた道を歩み/わたしたちはあなたを待ち望みます。
イザヤ26:8
神の力強い御手の下で自分を低くしなさい。そうすれば、かの時には高めていただけます。
1ペトロ5:6
昨日は、かたえ教会の特別集会に出かけてきました。
今から18年前、当時はまだ西南の神学部が干隈にあったのですが、私は神学部に入学するために福岡に引っ越して来た時、最初の日曜日の礼拝に出席したのが、かたえ教会でした。
その時は大変お世話になりました。礼拝の中では、かたえ教会の皆さんにその時の感謝をお伝えした後、御言葉を分かち合いました。お昼は教会員の皆さんの持ち寄りの食事をご馳走になり、その後、教会の皆さんを囲んでの話し合いの時間を持ちました。その中で、こんなやりとりがありました。「現在、連盟のあり方や連合のあり方として、よくパラダイムシフトということが言われている。たしかに、私たちはこれまでの価値観や考え方を大きく変えていかなければならない時期に来ているのではないだろうか。そんな中、伝道についても考えさせられている。私たちはこれまで、どこか伝道について、『上から下に』という感覚があったのではないかと思う。
すでに真理を知っている人が、未だ真理を知らない人に伝えていくというような、『上から下に』という感覚があったのではないだろうか。しかし、そうではなくて、目の前の一人一人との出会いから、新たに神様の御言葉に聞き続けていくということが必要なのではないかと思う。」
ある方がそのようなことを言われていました。すると、他の人たちもそれに対して、深くうなずきながら、ご自身の伝道の経験や証などを話しておられました。そんなかたえ教会の皆さんの姿を見ながら、こんなふうに熱心に教会のこと、伝道のことについて話し合われて、「本当に素敵な教会だな」と思いました。
本日の箇所には、次のように記されています。
「神の力強い御手の下で自分を低くしなさい。そうすれば、かの時には高めていただけます。」
この御言葉を読みながら、「神の力強い御手の下で自分を低くしなさい」という言葉が心に迫ってきました。そんな中、改めて、昨日のかたえ教会での交わりを思い起こしました。
私たちはしばしば、自分を低くすることができず、つい上からの目線で物事を見ていたり、考えたりしていることがあるのではないかと思います。そんな自分を思いながら、改めて、神様の前で自分を低くすることの大切さを思いました。(鈴木牧人)