本日のローズンゲンの御言葉です。

あなたの嘆きの日々は終わる。イザヤ60:20

神が彼らの目から涙をことごとく/ぬぐわれるからである。黙示録7:17

本日の御言葉には、次のように記されています。

「あなたの嘆きの日々は終わる。」

この言葉を読みながら、「嘆きの日々」という言葉が心に留まりました。

ここで言われているのが、「嘆きの日」ではなく、「日々」なんだなと思いながら、このような日々を過ごしている「あなた」は、どんな思いでいたんだろうかと思いました。

悲しいこと、辛いこと、しんどいことがあって、嘆く…。

そのようなことが「日々」として、続いているのです。

一日、二日では、踏ん張ることができたことが、数日、数ヶ月、そして、数年となる中で、踏ん張れなくなってしまうこともあるかも知れないと思います。

そして、私たちは時に、そのような課題に向き合わされることって、あるのではないかと思いました。

私たちが目の前にしている課題が、中々、一日二日で解決されるようなものではなくて、長いこと、その課題に向き合わなければならないことがあったり…。

あるいは、一つの課題を乗り越えても、すぐまた、次のトラブルに巻き込まれてしまうようなことの連続であったり…。

そういう中にあって、嘆きの日々を過ごしているということがあるかも知れないと思ったりするのです。

今回、連盟総会に出席してきましたが、その中で、幾度も聞いた言葉が「祈っていますよ」という言葉だったり、「祈ってくださいね」という言葉でした。

それらの言葉を聞く度に、皆さんが様々な現実の課題や困難の中で奮闘しているんだなということを実感しました。

同時にそのような困難に向き合わされている私たちが互いに祈りあうことのできる心強さや、感謝も噛み締めました。

私たちには、時に「嘆きの日々」を通らされることもあります。

しかし、そのような中にあって、一人ではないということを常に覚えていたいと思います。

私たちには、嘆きの日々の只中にあって、支えあい、祈りあう兄弟姉妹がいるということ、そして、何より、主が共にいてくださっていることを覚えていたいと思うのです。

そして、さらにその主が私たちに宣言してくださっていることも覚えていたいと思います。

どんなにしんどい嘆きの日々が続いたとしても、「あなたの嘆きの日々は終わる」と主は語りかけてくださっている…。

そのことが私たちにとって、何よりの慰めと励ましなのだと思うのです。

(鈴木牧人)

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