本日のローズンゲンの御言葉です。
「わたしの言葉は火に似ていないか。岩を打ち砕く槌のようではないか、と主は言われる。」
エレミヤ23:29
「祈りが終わると、一同の集まっていた場所が揺れ動き、皆、聖霊に満たされて、大胆に神の言葉を語りだした。」使徒4:31
本日の箇所には、次のように記されています。
「祈りが終わると、一同の集まっていた場所が揺れ動き、皆、聖霊に満たされて、大胆に神の言葉を語りだした。」
この御言葉を読みながら、「場所が揺れ動き」という言葉が心に留まりました。人々はこの時、共に祈りを合わせていました。そんな状況の中で、突然、場所が揺れ動きだしたのです。
私がその場所に居合わせたとしたら、どうだろうと思いました。そんな中、ふと思い浮かべたのは、先日の出張のことでした。
先日、出張の際、飛行機に乗ったところ、離陸後、しばらくして眠り始めました。しかし突然、
飛行機が気流に影響で揺れ始め、目が覚めました。すぐに機長から「飛行機が揺れても飛行には影響ありません」とのアナウンスがありました。そのアナウンスを聞きながら「きっと大丈夫」とは思ったのですが、やはり飛行機が揺れると落ち着きません。結局その後は眠ろうとしても、眠れなくなってしまいました。その時のことを思い出しながら、本日の箇所のような状況に自分が置かれたとしたら、心穏やかではいられなくなってしまうかも知れないなと思いました。しかし、本日の箇所で、大地が揺れ動いたのは、神様が人々に、新たな聖霊の御業を起こされようとされた「しるし」でした。
私たちも同じような経験をすることがあるかも知れません。神様は私たちに新たな聖霊の御業を起こされようとする時、「その場所を揺り動かすこと」があるのです。しかし、そのように神様から揺り動かされる時、私たちはどういう思いになるでしょう。神様の新しい御業を見ようとするよりも、揺り動かされている状況に平安を失ったり、不安や恐れで一杯になってしまうということもあるのではないかと思います。自分自身、そうなってしまったりしないかなと思いました。そんな中、本日の箇所から色々なことを考えさせられました。
今も色々なことがあります。時に思いもよらないことを経験し、自分自身が揺さぶられるような経験をさせられることがあります。しかし、時に神様は、そこから新しい御業を始められることもある…。本日の箇所を読みながら、そんなことを考えさせられました。(鈴木牧人)