「御言葉に聞き続ける」

Ⅰコリント10:32-11:1

本日の箇所でパウロは「礼拝の中で守るべきルール」について語っています。ここでパウロはコリント教会の人たちに対して、一つ一つのことを丁寧に説明しています。ただ何というのでしょう。ここに書かれているパウロの言葉を、私はただ字句通りに取り上げて読むことには慎重でありたいなと思ったりします。たとえば、「すべての男の頭はキリスト、女の頭は男」(11:3)と書かれていますが、この言葉から単純に「女性より男性は偉いんだ」というような読み方をすることに対して慎重でありたいと思うのです。ここでパウロが語っているのは、あくまで当時の考え方や価値観を背景にした発言だと思うのです。

コリントの信徒への手紙を読みながら思うのは、当時のコリント教会が本当に混乱していたということです。私たちはこれまで手紙を読み進めてきましたが、コリント教会には、自分たちには「すべてのことが許されている」(10:23)と主張し、倫理的に本当に目に余るような振る舞いをするような人がいました。また、一部の女性グループが霊的賜物をことさら強調していたために、教会の中で混乱が起きたりしていました。パウロはこのような問題に対して、整理する必要があったのだと思います。そんな中、本日の箇所に記されているようなメッセージを語りかけているのではないでしょうか。そのように、パウロが本日の箇所のようなメッセージを語っているのは、あくまで当時の社会状況や常識、そして、コリント教会が置かれていたある種の特別な事情というものがあって、このような言い方をしているのだと思うのです。

いずれにしましても、本日の箇所を読みながら、思わされることは、御言葉を聞くということです。聖書の御言葉を聞くということは、私たちの信仰にとって、もっとも大事なテーマです。ただ、そう思うがゆえに、ことさらわきまえていきたいなと思うことがあります。それは、私たちがどのように御言葉に聞き、どのような形で御言葉に応答していくのかということです。御言葉というのは、時に乱暴な形で読み取ってしまうということもありうるからです。そんな中、私たちは「御言葉に聞き続ける」ということが大事なのだと思います。分かったような気にならないで、聞き続けていくのです。私たちがそれぞれ今置かれている現実の中で、色々な人との出会いや出来事に戸惑ったり、悩んだりしながら、その都度、新たな思いで、神様に御心を尋ね求め、御言葉に聞き続けるのです。その姿勢が大切なのではないでしょうか。本日の箇所からも、私は「男性は女性のかしらだ」とか、「女性は礼拝で被り物をしなければならない」という言葉だけに囚われることより大事なことがあるのだと思います。私がこの箇所から何より聞き取っていきたいのは、パウロがこの時代、本当に試行錯誤しながら、コリント教会の人たちと共に、「互いを思いやり、共に主の栄光を現わしていくような霊的秩序のあるキリストの教会」を建てあげようとしている姿です。私たちもパウロのように、今置かれている現実の中で、試行錯誤しながら、どのように主の栄光を現わすキリストの教会を建てあげていくのかということが問われているのだと思うのです。

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