本日のローズンゲンの御言葉です。

国々の民は、卜者や占い師に尋ねるが、あなたの神、主はあなたがそうすることをお許しにならない。申命記18:14

わたしたちは、絶えずあなたがたのために祈り、願っています。どうか、“霊”によるあらゆる知恵と理解によって、神の御心を十分悟り、すべての点で主に喜ばれるように主に従って歩み、あらゆる善い業を行って実を結び、神をますます深く知るように。コロサイ1:9-10

私が福島にいた時のことです。一人の婦人が教会に転入会をされました。この婦人は、若い頃、東京に住んでいて、その時はずっと教会に通っていました。しかし、結婚を機に福島にやって来て、それ以降、教会に行くことがありませんでした。それから何十年も経って、クリスチャンの友だちが与えられました。

その友だちに「若い頃に教会に行っていた」という話をしたところ、「ぜひ郡山に新しく伝道所ができたから行ったら?」と誘われたそうです。そうして、何十年ぶりに教会を訪れ、転入会することになったのでした。

その婦人が証の中でおっしゃっていた言葉が印象的でした。

その婦人はこんなふうにおっしゃっていました。

「私はこれまで自分が祈るということは知っていました。色々なことがあった時、祈ってきましたし、それは教会から離れてもそうでした。でも、そんな自分が祈られてきたんだということは分かっていませんでした。

どこか自分で何もかもしているような気になっていたのですが、実はこれまでずっと私は祈られていたんだと気づきました。東京の教会の知り合いにもずっと祈られてきたことを知りましたし、福島で知り合った友にも祈られていたことを知りました。そんなふうに私はたくさんの人に祈られてきたんだと知ったのです。

何より、その背後にはイエス様が私のために祈ってくださっていたんだと思います。その祈りのお陰で自分は支えられてきたんだと思いました。私にはその祈りが必要だし、これからは私もそのように祈りたいと思います。」そんなお話をされながら、「これから再び教会の交わりにつながりたいと思っています」と証をしてくださいました。

本日の箇所には、次のように記されていました。

「わたしたちは、絶えずあなたがたのために祈り、願っています。どうか、“霊”によるあらゆる知恵と理解によって、神の御心を十分悟り、すべての点で主に喜ばれるように主に従って歩み、あらゆる善い業を行って実を結び、神をますます深く知るように。」

この御言葉を読みながら、「わたしたちは、絶えずあなたがたのために祈り、願っています」という言葉が心に迫ってきました。

そんな中、福島で聞いた婦人の証を思い出しました。昨日、H兄のバプテスマ準備クラスを行ないました。

その中でこんな話を聞きました。H兄のバプテスマを喜んで、H姉の前教会の牧師のお連れ合いが来てくださるとのことでした。私が「わざわざ来てくださるんですね」と話すと、H兄は「本当にありがたいです」と話していました。そんな中、H兄と話しあったことは、「それだけ祈ってくださっていたということなんですね」ということでした。

改めて、私たちの信仰の歩みは、祈りあう中で、支えられ、立たされていくんだなということを思いました。

日々の歩みの中で、ついつい自分しか見えなくなって、「必死に祈っている自分」や「祈れなくなっている自分」しか見えなくなってしまうことがあります。

しかし、そんな私は、自分が祈っている時も、祈れない時も、祈られ続けているんだということを覚えていきたいと思うのです。その祈りのつながりの中で、互いに立たされているんだということを覚えていきたいと思います。(鈴木牧人)

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