本日のローズンゲンの御言葉です。
「ヤコブは答えた。「いいえ、祝福してくださるまでは離しません。」」創32:27
「十二年間も患って出血が続いている女が近寄って来て、後ろからイエスの服の房に触れた。「この方の服に触れさえすれば治してもらえる」と思ったからである。イエスは振り向いて、彼女を見ながら言われた。「娘よ、元気になりなさい。あなたの信仰があなたを救った。」そのとき、彼女は治った。」マタ9:20-22
昨日、西南学院大学神学部の始業礼拝が行われました。その中で、神学部長の須藤伊知郎先生が、マルコ6:36-37からメッセージをされました。
「人が全世界を手に入れても、自分の命を損なうなら、何の得があろうか。人はどんな代価を払って、その命を買い戻すことができようか。」(マルコ8:36-37、聖書協会共同訳)
須藤先生はこんなお話をされました。
「今の時代というのは、誤って解釈されたグローバリズムが広がっています。儲けたい人が儲けたいだけ儲けていく世界になっています。そんな世界が広がっていく中で、一部の金持ちがますます富を独占し、貧富の格差が広がっています。一方で失敗したら、それは『その人の自己責任』としてしまう状況があります。そんな世界の中で、企業は人材として、グローバルな人材、即戦力を求めています。そのような時代状況というのは、まるでマルコ8:36に書かれているような『全世界を手に入れよう』という熱にほだされているような状況なのではないでしょうか。しかし、そのような時代の中で、一人一人の『その人自身の命』だったり、『実存』や『人格全体』が損なわれてしまうような状況があるのではないでしょうか。そんな状況を危惧します。私たちはそんな時代の中で、学生たちと『社会の中ですぐには役に立たないこと』を学んでいきたいと思っています。」
様々なことを考えさせられるメッセージでした。本日の箇所には、次のように記されています。
「十二年間も患って出血が続いている女が近寄って来て、後ろからイエスの服の房に触れた。『この方の服に触れさえすれば治してもらえる』と思ったからである。イエスは振り向いて、彼女を見ながら言われた。『娘よ、元気になりなさい。あなたの信仰があなたを救った。』そのとき、彼女は治った。」
本日の箇所を読みながら、「この方の服に触れさえすれば治してもらえる」との女性の言葉が心に迫ってきました。そして、昨日の須藤先生のメッセージが思い出されました。この時代の中で、何より学んでいきたいことがあるとすれば、その一つは彼女の「この方に触れさえすれば」という信仰なのではないでしょうか。一見、無駄で役に立たないことのように思えるかも知れませんが、彼女の信仰の確かさと大切さを心に刻んでいきたいと思いました。(鈴木牧人)