「彼を外に連れ出して」

創世記15:1-6

本日の箇所は「これらのことの後で」(15:1)という言葉から始まっています。創世記14章にはカナンの地の王たちの間に起こった戦争の記述が記されています。アブラムはこの戦いに参戦し、勝利することができました。しかし、その後の置かれていた状況は、決して安泰だったわけではないのだと思います。むしろ、この戦いの後、危うい立場に置かれていたのではないでしょうか。と言いますのは、この戦いによって、アブラムはケドルラオメルたちに恨まれることになったんじゃないかと思いますし、共に戦ったはずのソドムの王とも関係が良好とは言えなかったからです。そのような状況に置かれたアブラムがどんな心境だったのでしょうか。私だったら、不安な思いで一杯になってしまうのだろうと思います。そんなことを考えながら、15:1の御言葉を読む時、神様からの呼びかけが心に迫って来るのです。ここで神様はアブラムに対して「恐れるな、アブラムよ。わたしはあなたの盾である。あなたの受ける報いは非常に大きいであろう」(15:1)と語りかけました。ケドルラオメルたちとの戦いや、ソドムの王との色々なことがあった後、アブラムがどんな思いだったのか、神様はよくご存じだったのだと思います。それゆえ「恐れるな、アブラムよ」と呼びかけてくださったのだと思うのです。

少し前になりますが、ある方がこんなことを言っていました。「クリスチャンは、神様を信じているんだから、不安なんかもつはずがない。不安なんか抱いたら不信仰なんじゃないか。」私はそれを聞きながら「確かにそんなふうになれたなぁ」と思いました。ですが、実際の歩みでは、中々、そうなれないことだってあるんじゃないかと思います。私たちは信仰を与えられていても、目の前の現実に心揺れて不安になってしまうこともあるんだと思いますし、思い煩いで一杯になってしまうこともあるんだと思います。神様のことを信じたいと思いながらも、色々な思いを通らされている私たちがいるのだと思います。そして、それは致し方ないことでもあるのだと思うのです。ですが、その中で、覚えていたいことがあります。主はそんな私たちの思いさえも知っていてくださるということです。私たちが不安で一杯になったり、心が揺れてしまう時、そんな私たちの思いを受け止めてくださるのです。そして、そんな私たちに語りかけてくださるのです。そして、何より、私たちがそんなふうに心揺れている時、不安で一杯な時、悲しんでいる時、傷ついたり、疲れてしまっている時、その時こそ、私たちにとって御言葉に出会う時なのだと思います。神様は、私たちの内にある思いをすべてご存じで、本日の箇所のアブラムに語りかけてくださっているように、私たちにも語りかけてくださるのです。「心配しなくていいんだよ」「あなたの不安も心配も私に委ねてごらん」「私が盾となって、あなたのことを守っている」そんなふうに呼びかけてくださるのです。この主に信頼し、委ねていきたいと思います。

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