本日のローズンゲンの御言葉です。

「人の歩む道は主の御目の前にある。その道を主はすべて計っておられる。」箴言5:21

「マリアは言った。『わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。』そこで、天使は去って行った。」ルカ1:38

本日の箇所には、次のように記されています。

「マリアは言った。『わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。』そこで、天使は去って行った。」

この聖書の箇所は、大変有名な「受胎告知」の一節です。マリアが御使いガブリエルから、救い主誕生の知らせを聞いた時、マリアはいったいいくつだったでしょう。聖書に年齢は書かれていませんので、正確な年齢は分かりませんが、おそらく10代でした。当時の女性が結婚したのが12歳からだったと言われていますから、それくらいだったのかも知れません。いずれにしましても、現代の感覚では、まだ少女と呼ばれるような年頃の女の子に対し、いきなり御使いが現れて、語りかけたのです。この状況をとても受け止めらずに、混乱しても当たり前なのではないかと思います。ナザレという村は、本当に小さな村でした。おそらくこの村には当時、多くても500人位しか住んでいなかっただろうと言われています。彼女にとって、このごくごく小さな世界が、彼女の世界の全てでした。そんなマリアには、とても目の前で起こっていることを受け止め切れませんでしたし、不安な思いで一杯になって当然だと思います。そんなマリアが不安になったり、戸惑ったりしながら、御使いの言葉を受け止め、語ったのが、「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように」という言葉でした。

マリアが経験したことは特別なものだったかも知れません。しかしながら、マリアの不安や戸惑いというのは、私たちの信仰の歩みでも経験することがあるのではないでしょうか。神様の祝福に招かれていく時、私たちは、私たちにとっての信仰の決断だったり、選び取りというものを求められることがあります。そんな中、神様の招きに応えていく中で、色々なことを考えたりすることがあります。そんな中、不安になったり、留まったりしてしまうこともあるのではないでしょうか。しかし、それでも私たちなり信仰の選び取りでもって、神様からの招きに応えていこうとしていくことがあるのだと思います。そんなことを思う時、本日のマリアが戸惑ったり、不安になったりしながら、それでも最終的に「お言葉どおり、この身に成りますように。」(1:38)と受け止めていく姿に、時々の私たちの姿と重なってくるところがあるのではないかと思うのです。 

                       鈴木牧人

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