本日のローズンゲンの御言葉です。

「わたしはお前たちの上に人と家畜を増やす。彼らは子を産んで増える。わたしはお前たちを昔のように人の住むところとし、初めのときよりも更に栄えさせる。そのとき、お前たちはわたしが主であることを知るようになる。」エゼキエル36:11

「そのときには、キリストの祝福をあふれるほど持って、あなたがたのところに行くことになると思っています。」ローマ15:29

本日の箇所には、次のように記されています。

「そのときには、キリストの祝福をあふれるほど持って、あなたがたのところに行くことになると思っています。」

この言葉はローマ教会の人たちに語った言葉です。パウロはこの時、ローマに行くことを熱望していましたが、自分は今はローマではなく、エルサレムに行かなければならないと考えていました。パウロはこの手紙をおそらくコリントで書きましたから、ローマとエルサレムは全く反対方向でした。なぜ、エルサレムに行かなければならないと考えていたのかと言いますと、この時、エルサレム地方には、激しい飢饉があって、エルサレム教会を助けるため献金を携えて、エルサレムに向かうことにしたのです。ただ目的はそれだけではありませんでした。当時、エルサレム教会を始めとするユダヤ人クリスチャンたちと、パウロを代表する異邦人クリスチャンたちとの間には、大きな摩擦がありました。パウロは今回の援助を用いて、エルサレム教会との関係を少しでも良くしたいと考えたのです。この時のパウロの心の内をよく現しているのが15:30-32の御言葉ではないでしょうか。

「兄弟たち、わたしたちの主イエス・キリストによって、また、“霊”が与えてくださる愛によってお願いします。どうか、わたしのために、わたしと一緒に神に熱心に祈ってください、わたしがユダヤにいる不信の者たちから守られ、エルサレムに対するわたしの奉仕が聖なる者たちに歓迎されるように、こうして、神の御心によって喜びのうちにそちらへ行き、あなたがたのもとで憩うことができるように」(ローマ15:30-32)。

 パウロは、ここでローマ教会の人々に対して、自分のエルサレム行きのために祈って欲しいと切実な思いで訴えています。ユダヤ人たちから守られ、自分が携えていった献金の奉仕がエルサレム教会の人々に渡すことができるなら、私はあふれるほどの祝福をもって、あなたがたのところに行くことができるようになるだろうと語っているのです。このようにパウロは、異邦人教会とエルサレム教会との隔たりに心を痛めながら、何とかこの隔たりを埋めたいという祈りの思いでエルサレムに向かいました。そのような経緯を踏まえながら、本日の御言葉にある「キリストの祝福をあふれるほど持って、あなたがたのところに行くことになる」という言葉を読む時、この言葉の背後に、パウロの切実な願い、祈りを思います。

現在、M牧師がタイに行かれています。タイにおられるミャンマーの人たちに出会い、支援を行なうためです。水曜日、I姉がM牧師を空港に送ってくださったのですが、M牧師は大量のバッグを持っていかれたとのことでした。本日の箇所で、パウロは、様々な課題、悩みがある中、様々な人の思いや祈りをたずさえながら、「きっと、このことも神様が祝福に変えてくださる」と心に信じて、エルサレムに向かいました。その姿がM牧師の姿に重なって思えました。M牧師の健康と働きのため、そして、タイの旅の祝福と守りを祈ります。

鈴木牧人

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