本日のローズンゲンの御言葉です。

「そしてヤコブは、神が自分と語られた場所をベテルと名付けた。」創35:15

「百人隊長や一緒にイエスの見張りをしていた人たちは、地震やいろいろの出来事を見て、非常に恐れ、『本当に、この人は神の子だった』と言った。」マタ27:54

本日の箇所には、次のように記されています。

「百人隊長や一緒にイエスの見張りをしていた人たちは、地震やいろいろの出来事を見て、非常に恐れ、『本当に、この人は神の子だった』と言った。」

本日は、受難週で最も重要な「イエス・キリストが十字架にかけられたことを記念する日」です。イエス様が十字架にかけられた時、弟子たちは皆、イエス様のもとを離れてしまいました。イエス様の近くに最後まで連れ添ったのは、イエス様の母マリアやマグダラのマリアたちなど、女性たちでした。彼女たちはイースターの朝、イエス様になきがらに香油を塗るため、墓に出かけました。ヨハネ20:1には「週の初めの日、朝早く、まだ暗いうちに」イエス様の葬られた墓に出かけたことが記されています。真っ暗な闇の中をひたすらともしびの光を頼りに墓に向かっていたのだと思います。以前、この時の様子を絵に描いたことがあります。暗がりを小さなともしびを頼りに歩いているマリアたちの姿は、この時の彼女たちの心境と重なってくるのではないでしょうか。十字架の出来事の最中、世界が暗闇に覆われてしまっているかのように思う中で、彼女たちはとにかく自分たちができることをしようとしていたのです。それがお墓に行って、イエス様の亡骸に弔いの油を塗ることでした。ですが、お墓に行ったところで、イエス様に香油が塗れる保証はありませんでした。墓の蓋は大きな石で閉じられていましたし、憲兵たちが墓を守っていたからです。それでも、自分たちが今できることをしようと出ていったのだと思います。

そんなふうに、彼女たちは、真っ暗な暗闇を、先に何があるか分からないまま、歩んでいました。しかし、そんな彼女たちの歩みの向こう側には空が明るさを帯びていました。彼女たちは気づいていませんでしたが、復活の朝は訪れていたのです。

私がこの絵を描いたのは、東日本大震災が起こった一年後です。当時、震災のことや原発事故のことで、私たちの思いとしては先の見えない暗闇を歩いているようでした。そんな中、この絵を描きながら、今の先の見えない状況の中でも、私たちの知らないところで、神様の業が始められているんだと思い、励まされました。

今もともすると、目の前の世界が暗闇に覆われてしまっているかのように思えてしまうことがあります。しかし、そんな私たちの思いを越えて、神の業はなされていることを信じましょう。その中で、私たちが今、できることを一つ一つしていくことができたらと思います。

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