本日のローズンゲンの御言葉です。

「いなごが大地の青草を食べ尽くそうとしたので、わたしは言った。「主なる神よ、どうぞ赦してください。ヤコブはどうして立つことができるでしょう/彼は小さいものです。」主はこれを思い直され/「このことは起こらない」と言われた。」アモス7:2-3

「シモン、シモン、サタンはあなたがたを、小麦のようにふるいにかけることを神に願って聞き入れられた。しかし、わたしはあなたのために、信仰が無くならないように祈った。だから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」ルカ22:31-32

4月14日は、「ビルマ語による礼拝」を行ないました。その礼拝の中で、M牧師はメッセージの冒頭にミャンマーの「水かけ祭り」について紹介してくださいました。「水かけ祭り」とは、タイの太陰暦を採用する暦法「チャトラカティ」における正月の祭りです。もともと、正月に家族が集まって仏像や年長者の手などを清めるために行なっていた風習が転じて、街中で水をかけあう祭りとなっていったそうです。タイやミャンマーなど、様々な地域で行なわれています。M牧師は、「この祭りには前年の嫌なことを辛いことを全部洗い流してしまうという意味がある。しかし、現在のミャンマーは、それとはまったく違う状況なんだ」とおっしゃっていました。そして、聖書の御言葉から「希望」について語っておられました。

「今日の世界では、多くの場所で、さまざまな権威主義、軍事独裁政権、暴力、戦争、人権と人間の尊厳の侵害の下での長い苦しみに直面し、多くの人々が希望を失っています。イエスが実際に私たちと共におられないとしたら、誰がそのような具体的な希望を与えてくれるでしょうか? このような状況で、私たちは、痛みや悲しみを癒し、永続する平和と正義を成し遂げることを期待できるでしょうか? ミャンマー、ウクライナ、パレスチナ、スーダン、ハイチ、シリア、イラクなどの人々にかける言葉があるでしょうか? 飢餓に苦しむ人々、栄養失調、飢え、渇き、環境悪化、貧困で子供たちが死んでいる地域の人々に、私たちは何か言うべきでしょうか?  国内避難民、移民、難民、不当に扱われている障害のある人、高齢者、孤立した人、孤独な人たちに何か欠ける言葉があるでしょうか? あるのです。私たちは教会であり、復活の主の聖霊によって力を与えられたイエス・キリストの体であるゆえに、確かな希望を持っているからです。復活の主の約束ゆえに、どんなに長い間でも希望を抱き続けることができるのです。」

本日の御言葉には、次のように記されています。

「シモン、シモン、サタンはあなたがたを、小麦のようにふるいにかけることを神に願って聞き入れられた。しかし、わたしはあなたのために、信仰が無くならないように祈った。だから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」

 この御言葉は、イエス様がペトロに語った言葉です。何度となく読んできた御言葉ですが、改めて、この御言葉を読みながら、私たちの信仰の歩みには、躓きそうになってしまうことだったり、そこからもう一度、元気にさせられたりと、色々なことがあるんだなと思いました。しかし、イエス・キリストの真実も、復活の希望も、変わることがないのです。M牧師のメッセージを聞きながら、改めて「変わることがない希望」を共に見上げていきたいと思いました。

鈴木牧人

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