「あなたの知らない食べ物」

ヨハネによる福音書4章30-34節

ヨハネ4:8には、イエス様の弟子たちが食べ物を買うために町に出かけて行った様子が記されています。その弟子たちが帰ってきて、イエス様に対して、食べ物を差し出しました。しかし、それに対して、イエス様は「わたしにはあなたがたの知らない食べ物がある」と言われたのでした。おそらく、このように言われたということは、イエス様は弟子たちが差し出した食べ物を食べようとしなかったのだろうと思います。弟子たちは、何で、そんなふうに言われるのか、全く意味が分かりませんでした。そんな中、「自分たちがいない間に、誰かが食べ物を持ってきたのだろうか」と言い合ったりしたのです。ですが、そんな弟子たちに対して、イエス様は「わたしの食べ物とは、わたしをお遣わしになった方の御心を行い、その業を成し遂げることである」(4:34)とおっしゃったのでした。イエス様は、この時、本当はとてもお腹が空いておられたんじゃないでしょうか。旅に疲れ、井戸の近くの木陰に座り込んで、休んでおられたんだと思うのです。そういう中で、弟子たちは食べ物を手に入れ、イエス様に食べてもらおうとしたのですが、イエス様は「私はもう食事を済ませたんだよ」と言うふうに「わたしにはあなたがたの知らない食べ物があるんだよ」と言われたのです。そして、イエス様がこう言われたのは何故だろうと思います時に、それは明らかにサマリアの女性との出会いが関係しているのだろうと思います。一人のサマリア人の女性がイエス様に出会い、救われていった様子に「私はもう満たされているよ、お腹いっぱいになったよ。元気になったよ」と言われているのだと思うのです。
私は本日の箇所を読みながら、二つのことを思いました。一つは、イエス様がサマリア人の女性の救いをこんなふうに喜んでくださっていることについてです。そのことにイエス様の愛がひしひしと心に迫ってきました。一人の人の救いをこんなふうに喜びながら、救われた彼女を見て、「私はもう満たされているよ、元気になったよ」とおっしゃっているのです。その様子にイエス様の彼女への愛が迫ってくるのではないでしょうか。イエス様は彼女をそんなふうに見てくださっていたように、私たち一人一人をもそんなふうに思い、愛してくださっているんだなと思います。そして、そのことを思う時、心が熱くなるような思いにさせられるのです。
もう一つ思いましたのは、神様のミッションに生かされるということについてです。改めて、神様のミッションに生かされるということは、私たちにとって喜び、励まし、支え、そのような、私たちの「心の食べ物」なんだなと思いました。私たちは、そういうとらえ方より「しなければいけないこと」というとらえ方になってしまうことのほうが多いかも知れませんが、そうではないんだなと思いました。主にミッションに生かされることは、私たちにとって何より喜びの出来事であり、そのことを通して、私たち自身が励まされ、力を与えられ、元気にさせられていく…。そういう「心の食べ物」なんだな…。本日の御言葉から、そんなふうに教えられました。

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