本日のローズンゲンの御言葉です。
「わたしは悪人の死を喜ぶだろうか、と主なる神は言われる。彼がその道から立ち帰ることによって、生きることを喜ばないだろうか。」エゼキエル18:23
「罪が支払う報酬は死です。しかし、神の賜物は、わたしたちの主キリスト・イエスによる永遠の命なのです。」ローマ6:23
4月7日は、ルワンダで約80万人が殺害されるジェノサイド(集団殺害)が始まった日です。1994年に発生したジェノサイドから、30年になります。1994年4月6日夜にフツ出身のジュベナール・ハビャリマナ大統領(当時)が乗った航空機がキガリ上空で撃墜され、これをきっかけにフツ強硬派民兵組織などによる大虐殺へとつながっていきました。虐殺は約100日間にわたり続き、少数派ツチを中心に約80万人が犠牲となった。多数派フツも少なくない数が亡くなっています。ルワンダでは今も、集団墓地が各地で発見されているそうです。7日、首都キガリでは慰霊式典が執り行われました。その式展の中で、ポール・カガメ大統領は、国際社会は大虐殺が起きていたルワンダを「国際社会の蔑視もしくは臆病のため、われわれは皆見捨てられた」と述べたそうです。式典にはアフリカ各国首脳やビル・クリントン元米大統領が参列しました。クリントン氏はかつて、ルワンダ虐殺を「自らの政権最大の失敗」と語ったことがあります。カガメ大統領の「国際社会の蔑視もしくは臆病のため、われわれは皆見捨てられた」の言葉を聞きながら、現在のイスラエルのガザの出来事が心に迫ってきました。奇しくも4月7日で、イスラエルとイスラム組織ハマスの戦闘が始まり、半年が経ちます。今もガザの多くの一般人や子どもたちが犠牲になっています。私たちを含めた国際社会は、ガザの地でかつてのルワンダと同じ過ちを犯したりしていないだろうかと考えさせられます。
本日の箇所には、次のように記されています。
「わたしは悪人の死を喜ぶだろうか、と主なる神は言われる。彼がその道から立ち帰ることによって、生きることを喜ばないだろうか。」
主なる神は、悪人の死でさえ喜ばず、その人がその道から立ち帰り、生きることを願われている方です。そのように、私たち一人一人の命を何より尊ばれる方なのです。本日の御言葉を読みながら、ルワンダのこと、ガザのこと、ウクライナのこと、そして、ミャンマーのことを思いました。今の多くの尊い命が奪われている現状にあって、心を痛めるばかりです。そんな時代にあって、改めて、本日の御言葉にある主の眼差しが心に迫ってきます。怒りや憎しみが渦巻き、心が不寛容になったり、他者に対して無関心になったり、命が軽んじられてしまいそうになる世界にあって、私たちがこの主の眼差しを忘れることがありませんようにと祈らされます。何より、ガザ、ウクライナ、ミャンマーにおいて、一日も早い問題解決がなされるように。4/14はミャンマーディナーナイトが行われます。ミャンマーのことを覚え、祈りつつ、交わりの時を持ちたいと思います。今回は、台湾出身のRさんが料理をしてくださる予定です。先日、大きな地震に見舞われた台湾のために祈りつつ、そのような中にあって、ミャンマーディナーナイトに協力してくださるRさんに感謝します。
鈴木牧人