本日のローズンゲンの御言葉です。

「主は正しい。わたしが主の口に背いたのだ。聞け、諸国の民よ/見よ、わたしの痛みを。わたしのおとめらも若者らも/捕えられ、引かれて行った。」哀歌1:18

「ところで、あなたたちはどう思うか。ある人に息子が二人いたが、彼は兄のところへ行き、『子よ、今日、ぶどう園へ行って働きなさい』と言った。兄は『いやです』と答えたが、後で考え直して出かけた。」マタイ21:28-29

「出会うってことはね。そこで何かしら、変えられていくことなんだよ。もし出会っても何も変わらないとするなら、それは本当の意味で出会ってないんじゃないかな」

ある牧師の言葉です。私にもそういうことがあるんじゃないかと思います。せっかくの出会いを経験しても何も学ばなかったり、考えなかったり、何も変わらないとするなら、それは出会っているようで出会っていないのかも知れないと思うのです。本日の箇所には、次のように記されています。

「ところで、あなたたちはどう思うか。ある人に息子が二人いたが、彼は兄のところへ行き、『子よ、今日、ぶどう園へ行って働きなさい』と言った。兄は『いやです』と答えたが、後で考え直して出かけた。」

これはイエス様のたとえです。お父さんが二人の息子に「子よ、今日、ぶどう園へ行って働きなさい」と言ったところ、お兄さんは最初「いやです」と答えたのですが、後で考え直して出かけたというのです。このお兄さんは、なぜ一度、「いやです」と言ったにも関わらず、「やっぱり行こう」と考え直したのでしょう。色々な理由が考えられるかも知れません。ですが、その理由の一つとして、「出会いを通して変えられたから」ということが言えるのではないでしょうか。最初、自分の思いとしては、「いやだな」という思いがあったのですが、色々な経験や出会いを通して、考え直す思いが与えられ、「やっぱり行こう」という思いが与えられたのかも知れないと思うのです。実際、イエス様は、このたとえの後、次のように語っています。

「『この二人のうち、どちらが父親の望みどおりにしたか。』彼らが『兄の方です』と言うと、イエスは言われた。『はっきり言っておく。徴税人や娼婦たちの方が、あなたたちより先に神の国に入るだろう。なぜなら、ヨハネが来て義の道を示したのに、あなたたちは彼を信ぜず、徴税人や娼婦たちは信じたからだ。あなたたちはそれを見ても、後で考え直して彼を信じようとしなかった。』」(マタイ21:31-32)

イエス様は、お兄さんのたとえとして、徴税人や娼婦たちのことを挙げました。彼らがバプテストのヨハネのメッセージを聞いたり、イエス様の福音のメッセージを聞いたりしながら、悔い改め、神様に従うようになった様子を取り上げながら、このたとえを語っておられるのです。徴税人や娼婦たちがそのように考え直し、悔い改めていったのは、彼らがかけがえのない出会いをしてきたからでした。バプテスマのヨハネとの出会いだったり、イエス様との出会いを通して、彼らの思いは変えられていったのです。改めて、出会うことの大切さを思います。このゴールデンウェーク、私たちはどのように過ごしているでしょうか。色々な出会いが起こされ、そのことを通して、主にあって変えられていくことができたらと思います。

鈴木牧人

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