本日のローズンゲンの御言葉です。

 彼の来る日に誰が身を支えうるか。彼の現れるとき、誰が耐えうるか。彼は精錬する者の火、洗う者の灰汁のようだ。マラキ3:2

 あなたがたは賜物に何一つ欠けるところがなく、わたしたちの主イエス・キリストの現れを待ち望んでいます。主も最後まであなたがたをしっかり支えて、わたしたちの主イエス・キリストの日に、非のうちどころのない者にしてくださいます。1コリント1:7-8

信仰について、ある先生がこんなことを話してくださいました。「牧人くん。大切なことはね。あなたの歩みの中に、神様が働かれる場所をきちんと作ることなんだよ。時に私たちは真面目だったり、一生懸命すぎて、神様が働かれる場所さえ作らずに頑張っていることがあるんじゃないかな。そんな時、せっかく神様があなたの人生に働こうと願っていても、働かれる場所さえないことがあるんだよ。あなたが頑張ることも大事かも知れないけれど、大切な部分では、神様が働かれる隙間をきちんと作ることが大事なんだよ。」

印象的な言葉でした。

確かに、私たちは一生懸命になってしまうあまり、神様が働かれる隙間さえ作らずにいてしまうことがあるのではないかと思うのです。そんな中、先生の言葉に教えられると同時に、肩の力が抜けるような思いにもなりました。

本日の御言葉には、次のように記されています。

「あなたがたは賜物に何一つ欠けるところがなく、わたしたちの主イエス・キリストの現れを待ち望んでいます。主も最後まであなたがたをしっかり支えて、わたしたちの主イエス・キリストの日に、非のうちどころのない者にしてくださいます。」

ここには、私たち信仰者が、「主イエス・キリストの現れを待ち望んで」日々を歩んでいるんだということが記されています。しかし、その一方で、「主も最後まであなたがたをしっかり支えて」と記されているのです。

本日の御言葉を読みながら、改めて、私たちの信仰の歩みというのは、私たちで何とかするような歩みではないんだなということを思いました。何より、私たちに先立ってくださる神様を見上げながら、その神様に委ねていく…。それが私たちの歩みなのだということを思うのです。その神様の働かれる場所を作りつつ、共に歩んでいきたいと思います。

昨日から、連盟事務所に来ています。

連盟の理事会に参加するためです。正直、理事の働きは荷が重いですが、「主も最後まであなたがたをしっかり支えて」という言葉に励まされる思いがしました。この働きも、自分で何とかしようとしてしまうのではなく、先立ってくださる主を覚えて、その主が働かれる場所を作り、委ねていきたいと思うのです。(鈴木牧人)

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